ミニマリズムは節約ではない
ミニマリズムを語るとき、よく“節約”と混同される。
でも僕は、節約家ではない。
外食は多い。
服や仕事道具は数が少ない代わりに、価格はそこそこする。
必要ないモノは持たないけれど、必要なモノにはしっかりお金を使う。
だからある意味では自分を“浪費型ミニマリスト”だと思っている。
そんな僕でも、ある日ふと「光熱費が劇的に下がる」という出来事があった。
目的は節約ではなかった。
けれど、結果として生活コストが下がった。
ミニマリズムとは、こういうことなんだと思う。
今回はその具体的な方法の話。
結論としては、毎日のシャワーを“ジムに移した”だけ
今年のはじめ、足を怪我した。
長く続けてきた社会人バスケから離れ、体力が落ちたことも重なって、運動習慣を立て直すためにジムに入会した。
そして気づいた。
ジムにはシャワーがある。
最初は「どうやったらジムに通い続けられるか」を考えて、
“シャワーをジムで浴びる”という習慣づくりを試しただけだった。
これが意外とうまくはまって、1ヶ月、休まずジムに通うことができた。
すると──
驚いたことに、光熱費がガクッと下がったのだ。
特にガス代と水道代が軒並み減っていた。

節約目的ではなかったけれど、結果として家計は軽くなった。
生活最適化の副産物としての“節約”
光熱費が下がった理由は、単純に「家でお湯をわかさなくなった」からだ。
シャワーは毎日のことだから、ここが変わると数字は一気に動く。
でも、これは節約のためにやったわけじゃない。
先にあるのは “生活を最適化する” という思想だ。
僕にとっては、
- 家のシャワーよりジムのシャワーが快適
- シャワーついでに筋トレができる
- その結果、体調が整う
- 副産物として光熱費が下がる
という順番だった。
ミニマリズムとは
「節約するために生活を犠牲にすること」ではない。
“生活をよりよく整える” と、その結果として生活コストが最適化される。
その順番を履き違えると、ミニマリズムは苦行になる。
ジム代はかかっている。でも、それでいい。
誤解のないように言うと、光熱費が下がったぶん、ジム代は上乗せされている。
なので、純粋な収支で言えばジム代の方が少し高い。
つまり、家計全体で見れば「節約」にはなっていないのだ。
でも、僕はそれでいいと思っている。
- 快適なシャワー
- 運動習慣
- 生活リズムの改善
- 仕事への集中力の向上
これらの価値の方が、数千円の差より大きい。
ミニマリズムの目的は、人生の解像度を高めることであって、
支出を削ることではない。
ミニマリスト ≠ 節約家
ミニマリズムは、結果として節約になることはある。
でも、ミニマリズム = 生活をデザインする思想であり、節約が目的ではない。
もちろん、節約そのものを否定するつもりはない。
ただ、“節約こそがミニマリズムの本質”だという風潮には、少し違和感がある。
それは倹約家の哲学であって、ミニマリズムの本質ではないからだ。
ミニマリズムとは、
快適な生活をつくるために
自分にとって、あるいは人生にとっての不要なものを手放し、
必要なものに集中するための思想。
その結果として、生活コストが落ちることもあれば、
逆に増えることもある。
大事なのは
“快適さ” と “自分らしさ” の方だ。
生活は“整える順番”で軽くなる
今回の光熱費の変化は、あくまで副産物に過ぎない。
でも、この変化は大きな気づきをくれた。
・節約を目的にしない
・生活の最適化を目的にする
・その結果として暮らしが軽くなる
これが、僕にとってのミニマリズムだ。
あなたの生活で、
“最適化できる習慣” はあるだろうか?
生活は、削るよりも、整える方がうまくいく。
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