SNSを見ているだけで、なぜか疲れる。
投稿する気力もないのに、
「更新しないといけない気がする」だけが残っている。

40代になってから、
そんな違和感を抱えている人は少なくないと思う。

仕事のため。
つながりのため。
情報収集のため。

理由は分かっているのに、
SNSが“負担”になっている感覚だけが消えない。

この記事では、
SNSを完全に否定することもしないし、
無理にやめることも勧めない。

ただ、
「少し距離を置いたら、生活はどう変わったか」
その実感を、静かに整理してみる。

結論から言うと、
SNSを手放しても、暮らしは意外と困らなかった。

SNSに疲れる理由は「情報」ではなく「管理」にある

SNSに疲れている人の多くは、
情報そのものに疲れているわけではない。

  • 投稿しなければならない気がする
  • 反応を確認してしまう
  • 数字や評価が頭に残る
  • 使っていない時間も、意識だけが引きずられる

実は、この状態は、
情報を見ているというより、管理している に近い。

40代になると、
仕事、家庭、健康、将来のこと。
すでに管理するものは十分すぎるほどある。

ただ、そこに、
「見なくていいかもしれない管理」が
ひとつ増えているだけで、
生活の密度は簡単に下がってしまう。

手放したのはSNSそのものではなく「距離感」

僕自身、
SNSをすべて一気にやめたわけではない。

  • 完全に離れたもの
  • 距離を置いて様子を見ているもの
  • 役割を限定して使っているもの

いくつかを整理しただけだ。

大きかったのは、
「常に触れていなくてもいい」
という前提に戻したこと。

これは、
デジタルだけではない。
むしろ、暮らし全体に共通する感覚でもある。

実際、
「管理から降りる」という考え方は、
SNS以前に、こんな形でも整理している。

参考記事▶︎ デジタルを減らすと余白が増える|40代が“管理から降りる”という選択

実は、管理を減らすだけで、
思考と時間の余白は驚くほど戻ってくる。

やめてみて分かった「意外と困らなかったこと」

SNSから少し距離を置いて、
困ったことはほとんどなかった。

  • 情報は必要なときに取りに行けば十分だった
  • 連絡は別の手段で問題なかった
  • 生活のリズムはむしろ安定した

逆に、
常に何かを見逃している感覚 が消えたのは大きい。

実は、この感覚は、
テレビを手放したときとよく似ている。

参考記事▶︎ 40代ミニマリストはテレビを持たない|“余白”が生まれる生活のリアル

情報を減らすというより、
「受け取る量を自分で決められる状態」に戻る
そんな感覚に近い。

無理にやめなくていい。でも「やめてもいい」

大切なのは、
SNSをやめること自体ではない。

  • 無理に続けていないか
  • 惰性で管理していないか
  • 生活に合わなくなっていないか

一度、立ち止まって考えること。

もし迷っているなら、
完全にやめなくてもいい。

  • アプリを消してみる
  • 見る時間を決める
  • 役割を一つに絞る

それだけで、
生活は確実に軽くなる。

この考え方は、
「捨てる・減らす」ではなく、
選び直す に近い。

参考記事▶︎ 断捨離がうまくいかない40代へ|減らさないミニマリズムを選ぶ

SNSを手放して得たのは「静けさ」

SNSを手放して得たのは、
自由でも解放感でもない。

もっと地味な、
静けさ だった。

頭の中に残るノイズが減り、
そして、
何を考えているかが分かる時間が増えた。

40代に必要なのは、
情報を増やすことではなく、
生活の負荷を減らすこと なのかもしれない。

もし今、
SNSに少し疲れているなら。

やめるかどうかを決めなくてもいい。
ただ、距離を置いてみる。

それだけで、
実は、暮らしは思った以上に軽くなる。

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ABOUT ME
yohaku
余白のある生き方を探しながら、 40代の暮らし・働き方・持ち物を“整える”ための思考を書いています。 ミニマル思考、Quiet Luxury、道具から学ぶ哲学。 心と生活が軽くなる視点を、日々の実践から発信中。 元ドキュメンタリー番組ディレクターを経て、 現在はブランド設計・クリエイティブの仕事に携わっています。 「ものを減らす」の先にある、 “どう生きるか”を一緒に考えるための場所です。