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元テレビマン!?異色のクリエイティブディレクターAndyです。

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はじめまして、Andyです! クリエイティブの価値を高め、広め、深めるためのメディア、we.へようこそっ!!このメディアでは、ボクの制作実績と、ビジネスやクリエイティブに関するコラムや情報なんかを発信していく予定です。
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まずは最初のエントリーとして、Andyって何者?って部分を理解いただくため、自己紹介など書いてみたいと思います。少しばかり長くなりますが、おつきあい頂けると幸いですっ

Andyのキャリア(過去)

いまでこそクリエイティブ・ディレクターを名乗ってますが、ボクの社会人キャリアのスタートは新卒で入ったTV番組の制作会社のAD(アシスタント・ディレクター)からでした。
ディレクターになった頃は番組の編集で籠もりきり、最長で10日間くらい家に帰れない、今で言うところのとってもブラックなお仕事でした。
でも、好きなことだったから不思議と苦にはならなかったですね。
瞬間、瞬間は辛かったですけど、昔っから「何かを創る」っていうクリエイティブなことが大好きだったし、エンドクレジットに名前が載った番組が世に出るのはやっぱり得も言えぬ快感でした。

幼少期から大学までの平々凡々な日々

そもそも、生まれは福岡県です。
田舎すぎもせず、都会すぎもしない街で育ちました。
いまからはちょっと想像できないかもしれないですが、小学校の頃は病弱で、漫画やアニメが大好きな内気で内向的な子供でしたね。
喘息持ちで走るとすぐに息が上がっていたから、ヒマさえあれば漫画やイラストを書いていたのがクリエイティブの原点になっています。

で、中学入学と同時に、大好きな漫画「スラムダンク」の影響を受けてバスケ部に入部しました。
ぶっちゃけ、入部当初は全然続くとは思ってませんでした。笑
ですが、バスケ部での走り込みが効いたのか、次第に喘息が治り、体が動かせるようになります。
1年生の最初の頃こそまだ部活を休みがちでしたが、2年生のときにはバリバリのバスケットマンに。
先輩に混じってユニホームをもらい、県大会準優勝、九州大会ベスト4まで行ったのがキャリアハイです。
残念ながら全国大会出場は逃しましたが、いい経験となりました。

高校は進学校だったためバスケ部は弱く、地区大会2回戦止まり。
コーチとの折り合いも悪く、あまり満足な高校生活とは言えず…この頃は常に乾いていた気がします。
トモダチが居なかったわけではないですが、どこか自分に満足していない、満ち足り無い想いをずっと抱えてました。
カメラやイラストなどのクリエイティブに熱中している友人を羨ましく思ったりして。
もしかしたら、自分の中でバスケでは満たされ無いクリエイティブ欲求がどこかにあったのかも知れません。
そんな想いを胸に、大学進学とともに東京に出てきました。

オーストラリア留学で変わった価値観

大学生活は、お酒と麻雀とサーフィン三昧の日々。
ほとんど授業を受けた記憶はありません。
要領だけは良かったんで、成績はそこそこ。単位もしっかり取れてたし、留年の危機!!みたいなこともありませんでした。
平々凡々な人生です。

大学2年時にオーストラリアへの短期留学を経験。
ここで一気に「働く」という概念や価値観がぶっ壊されました。

何しろ、オージーときたら圧倒的に自由なのです。
平日でもまるで休みの日のように遊ぶし、仕事はのんびりだし、なんなら昼過ぎからはビール飲んじゃうし…
でも、みんな幸せそうでした。

「いい大学を出て、大企業に就職し、出世争いを勝ち抜いて、老後は年金をもらってゆうゆう暮らす」というテンプレートのような人生観に風穴が空いて、人生を謳歌することの大切さを知った瞬間です。

そんな新しい価値観を抱きながら、大学3年の時にゼミを選択します。
今思えばそれは自分の人生最初の岐路だったような気がします。

映像との出会い

選択したのは映像制作を主体にするゼミでした。
まだようやくパソコンで編集が出来るようになったばかりくらいの時代です。
レンダリングに一昼夜、作業途中でPCフリーズなんて当たり前。
撮影はすれど、編集は進まず…みたいなことが往々にしてありました。

それでも卒業制作として、日本文化を海外に発信することを目的に30分のドキュメンタリーを制作。
字幕を入れてDVD化して、冬休みの間にイギリスとドイツの大学を5ヶ所くらい訪問しました。
その場で上映とプレゼン、質疑応答などをするためです。
大変だったけど、貴重な経験が出来た2週間でした。

そのゼミでのドキュメンタリー制作が実質的にボクのディレクターデビューだったように思います。

撮影が得意なやつ、編集が得意なやつ、取材、インタビューが得意なやつ。
そのゼミにはいろんな能力を持った仲間がいました。

で、ボクは企画や全体構成を書いて、その仲間たちを上手く連携させ、一つの作品を制作進行していくのが得意だったんですね。
当時は無我夢中でやってたから気が付かなかったけど、今思い返せば、やっぱりボクの原点はそこにあるように思います。

ちなみに、サーフィンを始めたのもこの頃です。
オーストラリアで自由に波に乗るサーファーを見ていて、強烈に憧れました。
とにかく一度やってみよう・・・
新しい世界に飛び込むのに、躊躇がなくなってきたのはこのあたりからかも知れません。

就職活動はしたくなかった

大学も3年生になると、みんなが就職活動を始めます。
インターネットはあったけど、まだ今みたいにSNSでいろんな価値観や生き方などの情報が溢れてない時代です。
友人たちの多くも、その就職活動という流れに乗ってリクルートスーツに身を包むようになりました。

でもボクは直感的に、その大衆迎合そのものに拒否反応を示してました。
今思えば、もう少しキチンと向き合った上で、拒否すればよかったかな、と思わなくもありません。
とはいえ、スーツにネクタイを締めて品定めされる現行の就職活動の流れから逃げ、当時バイトをしていたテレビ番組制作会社に入社を決めたのです。

今ほど、「好きなことで生きていく」のが当たり前ではない世の中で、映像(テレビ)制作という好きなことを仕事に出来たのはラッキーだったと思います。

その制作会社でAD(アシスタント・ディレクター)からスタートし、すぐにディレクターになりました。
10人ほどの小さな制作会社だったので、3年もしないうちに担当してない番組はなりました。
ここにいてもこれ以上の成長は望めない。
そう思い、退職を決意します。
本当はここでWeb業界への転身も頭をよぎったのですが、テレビ局のプロデューサーに気に入ってもらってたのもあり、そのままフリーランスとして契約してもらえることになりました。

新卒から3年でフリーランスへ

退職してそのままフリーランスのディレクターになりました。
新卒3年目。今でこそよくある話ですが、やはりボクらのその時代にその生き方はかなりレアだったと思います。

さて、フリーランスになったおかげで、制作会社の枠を超えて企画書を書くようになりました。
ボクがやりたかったのはドキュメンタリー番組。
残念ながら、新卒で入った制作会社はスタジオ撮影ばかりだったので、そういう意味でも物足りなさを感じていました。

最初の1、2年は企画を書けども書けども、全然通りませんでした。
そうなると別のディレクター立てた企画で、放送日担当としてディレクターをやるわけですが、まぁ楽しくない。
当然です。自分の企画じゃないんだから。
それでも諦めることなく企画を出し続けました。

ついに企画が通って番組化されたのはフリーランス3年目の春。
大好きなサーフィンをなんとか仕事にしてやろうと、バリのプロサーファーを目指す少年を追いかける企画を書いたときでした。
好きも相まって、バリには何度も取材(と称してサーフィンに)訪れてました。
もちろん、自腹です。
そこで出会った少年がプロを目指していると知り、それを企画書にして提出したことで、撮影、放送へと一気に動き始めたのです。
望外の喜びでした。

企画というのは不思議なもので、一度通るとその次も、そのまた次も、わりかし上手く通ります。
結局、好きなものを企画書に落とし込めばいい、という成功体験を得たことがトリガーになったのだと思います。

ターニングポイント

その後は好きな企画ばかりテレビにしてきました。
サーフィンに続き、スポーツ系ドキュメンタリーをやりたくて、佐渡ヶ島の野球少年を追いかけたり、カメラマンやプロスノーボーダー、ファッションデザイナーなど、ホントに自分の興味ある人を対象にしたドキュメンタリーを次々とつくりました。

ちなみに、30代になる頃、さすがに仕事が忙しくなりすぎ、車を手放して横乗り生活を断念します。
その代わり高校生以来となるバスケを再び始めることになりました。

あの頃は大変だったけど、本当に楽しかった。
冒頭で書いた、10日も帰れず編集室で過ごしたのもその頃の話です。

でも、良い時期は永遠に続くわけではありません。

2011.3.11、東日本大震災発生。

日本中が大混乱の中、テレビ局もわれわれ制作会社も、緊急事態対応に追われます。

当時、震災や被災地をテーマにしたドキュメンタリーを何本もつくりました。
実際に被災地にも足を運んだし、福島原発の事故現場からわずか3キロの距離まで取材にいったこともあります。
線量計を片手にカメラを回しました。

伝えるべきことの重みはわかっていました。
でも、テレビとしてはそこに僅かでも希望を探して見せなくちゃならない。
無理にでも心の繋がりや笑顔のシーンを創り出さなくちゃならない。
エンタメ業界の当然とも言うべきこの宿命は、当時のボクにはすごく重荷でした。
これ以上、無理に被災者の笑顔を集める仕事は出来ない。

2013年3月。
2年間の震災取材を終え、ボクはテレビ業界から去る決心をしました。やり切った、という感覚よりも、もうこれで取材をしなくて済むとホッとしたのを覚えています。

テレビ業界を辞めたボクは、特に仕事の当ても無いまま故郷の福岡に帰りました。
フリーランスと言えば聞こえは良いけど、ほとんど仕事なんてしてません。
単なるフリーターです。

新しい選択肢

それでも少しずつ、Web動画の仕事をこなしているうちに、現在所属しているクリエイティブ・オフィスの社長と知り合いました。
2014年、ちょうどiPhoneをはじめ、スマホが一般的になり、世の中でWeb動画が勢いを増し始めた時期でした。
それまでWebやグラフィックのデザインをやっていたその会社にボクは参画し、動画制作事業の立ち上げを行うことになりました。

その流れで、動画だけでなく、Webやグラフィックのデザインディレクションも行えるようにデザインも勉強したのです。
当時の福岡オフィスはデザイナーが3名、コーダーが2名、ディレクターが3名。その人数でけっこうな数の案件を回してました。ボクも動画だけをやっていれば良い、という状況ではなかったんですね。
全くの未経験からWebサイトのデザインディレクションをやったり、パンフレットの撮影、制作ディレクションをやったり、SNSの運用をやったり、多種多様なクリエイティブに触れました。

未経験から入ったけど、ディレクションの本質は動画とデザインで通じるところがあり、そのあたりは無理なく入っていけました。大変な案件ももちろんあったけど、すごく楽しく、やりがいがありました。

動画の需要は今も昔もやはり東京が中心です。
最初はボクも動画案件が入る度に東京へ出張していました。が、さすがにその頻度が多くなり、2015年、ボクは再び東京に出て、所属会社のクリエイティブ・オフィスの東京事務所を立ち上げることにしました。
もちろん、自分で企画を書き、自分から東京に行かせて欲しいとプレゼンした結果です。

Andyの仕事とは(現在)

東京進出を果たして現在3年目。
これまでにWeb動画、Webサイト、パンフ、チラシ、冊子…ありとあらゆるメディアやクリエイティブの制作をディレクションしてきました。
なので、「クリエイティブ・ディレクター」を名乗っているわけです。
正直、肩書きなんてなんでも良いと思ってます。
ただ、やりたいことを明確に表すためには、あったほうが良い記号だとも思います。

クリエイティブディレクターという仕事

基本的に、ボクはクリエイティブに関わることなら何でも出来ます。
動画も企画・構成・撮影・編集まで一人でこなすことが出来るし、動画だけでなく、写真も撮ろうと思えば撮れる。
デザインもWeb、紙媒体、どちらも経験してます。得意ジャンルのデザインなら普通に自分でこなせてしまう。

でも、どれも1つのことを極めてきたプロというわけではありません。

予算があるなら、撮影はカメラマンさんに任せるし、編集も編集マンを入れてやります。
デザインもそれぞれジャンル別で得意としているデザイナーさんにお任せする。
ボクは常にディレクターとして、その管理をする、というのが仕事です。

そして、進行管理以外に、もう一つ重要な仕事がディレクターにはあります。
それが「コンセプト創り」です。

クライアントの課題を明確化し、それを解決するためのクリエイティブを制作するには、軸となるコンセプトが必要になります。
デザインやクリエイティブに迷いが生じた時は、そのコンセプトに立ち返って良し悪しを判断します。
強いコンセプトを持つクリエイティブは、それだけで強い力を持つ。
そのためのコンセプト・メイキングはボクの一番得意とするところです。

今後、このメディアでも、デザイン云々というよりももっと深く、「なぜそのデザインに落とし込んだのか」というコンセプト部分をできるだけ明確に言語化していきたいと思っています。
そうすれば、きっとデザインやクリエイティブにおけるディレクションの意義や大切さもわかってもらえると思うから。

Andyのこれから(未来)

これまでの人生を振り返るなかで、自分なりに見えてきた、ボクの特徴があります。

まず、未来志向で行動的。
新しい企画の立ち上げと運営システムの構築が得意です。
作業をテンプレート化する能力に長けている一方で、テンプレート化した案件を回すのはすぐに飽きてしまいます。

常に新しいことを求め、変化を楽しむタイプなので、安定を好まず、同じ環境下に3年以上いられないのも特徴の1つかも知れません。

趣味、仕事、住む場所、とにかく何かしら変化のある人生を求めていて、何かを創り出すこと、思いつくこと、提案することが大好きです。

好奇心が旺盛で、いろんなことにすぐ手をだすわりに長続きしない。
そういう意味ではクリエイティブ・ディレクターという仕事はものすごく向いていると思っています。

内向性と外向性が50%&50%で、プライベートではかなり人見知りなくせに、仕事となるとまったく気にならないのも不思議な特長かも知れません。
なので、プレゼンテーションや企画提案会議ではかなり雄弁に語る方だと思います。

いろんなしがらみを捨て続けていたら、いつの間にかミニマリストになっていました。
そのおかげで、本当に大切なものだけを手元に置いて生きて行くことは、実は人生をクリエイトしていることだと気づいたもここからです。

毎日をDESIGNし、人生をCREATEする

さて、2019年の5月には、東京オフィスの運営を担当していよいよ4年目に入ります。
東京オリンピックも目前です。

正直、もっともっとホントは会社自体大きくなってるものだと思ってました。そうさせるつもりで東京に再び出てきていたからです。
でも、なかなか上手くはいかない。
それが何故かをここ数ヶ月、ずっと考えていました。
もちろん、いろんな要素はあるのですが、一つにはやっぱり、「自分の好きを仕事に出来てない」からだろうな、というのが結論です。

動画制作もデザインも、コンセプトメイキングもブランディングも、どれも全部好きなことです。
でも、一方でどうしてもクライアント請負いの、目の前の仕事にばかり忙殺されて、自分から企画を書いてクリエイティブを発信しなくなっている…それじゃだめだと思ったのです。

なので、そこを解消すべく、2018年の後半から、いろいろと仕込みをしてきました。

まず、新しいWebサービスや新規事業の立ち上げなど、もっと大規模にやっていきたいことがたくさんあります。
そのためにも、多くの優秀なメンバーと知り合うことで、それを可能にするチーム創りをさらに加速していきたいと考えています。

さらに、東京や福岡にとらわれることなく、広くいろんな場所でいろんな仕事を展開していきたい。多拠点でビジネスを展開したい。
その思いから、月に一度は大阪や京都に遊びに行くようにしています。

そんな思いもあって、いまはいろいろなチーム、コミュニティーに参加するようになりました。

参加プロジェクト

以下はいま、ボクが現時点で参加しているコミュニティーやプロジェクトです。

#ディレラボ(@direction_labo )
└クリエイティブの価値向上

#江戸クリ
└東京クリエイター交流会

#オンライン上司
└デザイナーコミュニティ

#オフィスイオ
└Office io ブランディング

#Min
└ミニマリストのリレーコラム

#platform
└クリエイターユニット

これ以外にも、デザインオフィスの「io」にクリエイティブ・ディレクターとして参加したり、大阪の企業さんのインバウンドメディアの立ち上げチームに参加したりと、個人としての活動の幅を広げています。

次のステージへ

この試行錯誤の半年間を経て、ようやく自分のなすべきこと、そのビジョンと軸が見えてきた気がします。

ボクの発信のテーマは「クリエイティブの価値を高め、広め、深める。」こと。

そして、ゆくゆくの目標というかビジョンとして、「日本にクリエイティブの革命を起こしたい」と思うようになりました。

デザインの薄利多売や、イラストレーターの買い叩きのない世界。
欧米並みに、正当にクリエイターとクリエイティブの価値が認知され、当たり前となる世界。

そんな、クリエイティブの革命を目指しています。

それらのすべての活動の母艦として、このウェブメディアを立ち上げました。

いまはまだ、小さな小さな灯火ですが、いつかこの業界だけでなく、日本中を焼き尽くすクリエイティブの業火となるように…
その火種を優しく、優しく、育てていきたいと思います。

すべては、新しい未来を創り出すため。

今日を変えられない人間に、未来は変えられない。
そんな思いを持ちながら、同じ価値観の仲間たちと出会えることを楽しみに、このサイトの運営をつづけていく予定です。

どうぞよろしくお願いします。

Andy
Andy
長文を読んでいただきありがとうございました。今後の更新もどうぞお楽しみに!

 

ABOUT ME
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Andy
we.編集長/Design Offiice io COO./Creative Director|東京⇆京都の2拠点生活。| 企業の経営課題を解決するデザイン・コンサルやクリエイティブ・ディレクションやってます。|ミニマル思考と独特の着眼点で「?」を「!」にする発想・提案が得意。|日本のビジネスにクリエイティブの革命を起こしたい。