もう、2年以上前になるけど、
実はX(旧Twitter)をやめた。

正確に言うと、
スマホからアプリを削除して、運用を停止している状態だ。

投稿すること、タイムラインを眺めること。
それはもう生活の一部だった。

最初にiPhone3GSを手にした2010年頃からだから、
12年以上使っていたことになる。

それでも、やめた。

理由はシンプル。
SNSが生活を軽くしていなかったから。

フォロワーは最大で8000人ほど。
今では6000人にまで減少している。

でも、
手に入れたメリットの方がはるかに大きかった。
今回は、そんな脱・SNSの話。

Twitterは新しい時代のメディアだった

最初のTwitterは、もっとゆるかった。

「らーめんなう。」
「むくり。」

そんな一言を、気まぐれに投稿するだけ。

フォロワーのほとんどが知り合いで、
嫌味もない。
クソリプもない。
自由で、牧歌的な場所だった。

一つだけ覚えているのは、
新しい時代の匂いだ。

海外の飛行機不時着の映像が、
テレビより先に機内の一般人から投稿された。

あの瞬間は、鳥肌がたった。

あの頃のTwitterは、
間違いなく、新しいメディアだった。

その後、インフルエンサーの台頭や、
ビジネス利用でのクラスターの出現など、
Twitterの使い方は少しずつ、
でも確かに変化していった。

SNSが息苦しい場所になった

流れが大きく変わったのは
コロナだったと思う。

外に出れなくなって、
みんながYouTubeとTwitterを往復する日々。

自分の置かれた環境もあるとは思う。
それでも、なぜか画面の中に、
何とも言えない、ギスギスした空気を感じるようになった。

Twitterがとても息苦しい。

誹謗中傷
罵詈雑言
妬み
過剰な正義

スマホの小さな画面から
人間の負の感情が溢れてくるようになった。

気づけば投稿もしなくなっていた。

だったら開かなければいい。
そう思う。
でも手はスマホに伸びる。

ただタイムラインを眺めるだけの、
不毛な時間が続いた。

Xのタイムラインはバズでできている

やがて、幸せの青い鳥はいなくなり、
Twitterは、Xになった。

タイムラインには
「おすすめ」が並ぶ。

でもそこにあるのは
欲しい情報ではなく、
ただバズっただけの価値のない投稿だった。

過剰な正義。
善意に包まれた攻撃。
忠告という名の刃。

タイムラインには
そんな言葉ばかりが流れてくる。

Xはもう
エックスではない。

バツ(罰)だ。

誰かを断罪する
デジタル処刑台。

さすがに限界だった。

2024年1月。
展示会を最後に、
スマホからXのアプリを削除した。

Xをやめた結果

最初は、
見たくないものに蓋をしただけのつもりだった。

でも違った。
そもそも見なくていいものだった。

アプリを消して一週間。
精神衛生は明らかに良くなった。

仕事に集中できる。
やる気も出る。
アイデアも浮かぶ。

SNSに奪われていた時間が、そのまま戻ってきた。

見たくないものを見ない。

それだけで、
生活はかなり軽くなる。

デジタルを減らすと
思考の余白が生まれる。

参考記事→デジタルを減らすと余白が増える|40代が“管理から降りる”という選択


ミニマリストはSNSを減らす


Twitterには感謝している。

人との繋がり。
仕事。
新しい知識。

多くの贈り物をもらった。

でも
それにしがみつく必要はない。

発信は大事だ。
でも発信に疲れては意味がない。

繋がりも大事だ。
でもSNSでしか繋がれないわけではない。

時代に合わせて、
自分に合わせて、
自分なりのSNSの使い方を更新すればいい。

ミニマリズムは
モノだけの話ではない。

情報も同じ。

減らすことで、
生活は軽くなる。

参考記事→モノを減らすだけでは人生は変わらない|40代ミニマリズムの本質


※この記事は過去にnoteで書いた内容を、WE用に再編集したものです。

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ABOUT ME
yohaku
余白のある生き方を探しながら、 40代の暮らし・働き方・持ち物を“整える”ための思考を書いています。 ミニマル思考、Quiet Luxury、道具から学ぶ哲学。 心と生活が軽くなる視点を、日々の実践から発信中。 元ドキュメンタリー番組ディレクターを経て、 現在はブランド設計・クリエイティブの仕事に携わっています。 「ものを減らす」の先にある、 “どう生きるか”を一緒に考えるための場所です。