Min-izm

節約なしで光熱費が下がった。40代ミニマリストの“発想の転換”と生活最適化

ミニマリズムは節約ではない

ミニマリズムを語るとき、よく“節約”と混同される。
でも僕は、節約家ではない。

外食は多い。
服や仕事道具は数が少ない代わりに、価格はそこそこする。
必要ないモノは持たないけれど、必要なモノにはしっかりお金を使う。

だからある意味では自分を“浪費型ミニマリスト”だと思っている。

そんな僕でも、ある日ふと「光熱費が劇的に下がる」という出来事があった。

目的は節約ではなかった。
けれど、結果として生活コストが下がった。

ミニマリズムとは、こういうことなんだと思う。
今回はその具体的な方法の話。

結論としては、毎日のシャワーを“ジムに移した”だけ

今年のはじめ、足を怪我した。
長く続けてきた社会人バスケから離れ、体力が落ちたことも重なって、運動習慣を立て直すためにジムに入会した。

そして気づいた。

ジムにはシャワーがある。

最初は「どうやったらジムに通い続けられるか」を考えて、
“シャワーをジムで浴びる”という習慣づくりを試しただけだった。
これが意外とうまくはまって、1ヶ月、休まずジムに通うことができた。

すると──
驚いたことに、光熱費がガクッと下がったのだ。

特にガス代と水道代が軒並み減っていた。

節約目的ではなかったけれど、結果として家計は軽くなった。

生活最適化の副産物としての“節約”

光熱費が下がった理由は、単純に「家でお湯をわかさなくなった」からだ。
シャワーは毎日のことだから、ここが変わると数字は一気に動く。

でも、これは節約のためにやったわけじゃない。
先にあるのは “生活を最適化する” という思想だ。

僕にとっては、

  • 家のシャワーよりジムのシャワーが快適
  • シャワーついでに筋トレができる
  • その結果、体調が整う
  • 副産物として光熱費が下がる

という順番だった。

ミニマリズムとは
「節約するために生活を犠牲にすること」ではない。

“生活をよりよく整える” と、その結果として生活コストが最適化される。

その順番を履き違えると、ミニマリズムは苦行になる。

ジム代はかかっている。でも、それでいい。

誤解のないように言うと、光熱費が下がったぶん、ジム代は上乗せされている。
なので、純粋な収支で言えばジム代の方が少し高い。
つまり、家計全体で見れば「節約」にはなっていないのだ。

でも、僕はそれでいいと思っている。

  • 快適なシャワー
  • 運動習慣
  • 生活リズムの改善
  • 仕事への集中力の向上

これらの価値の方が、数千円の差より大きい。

ミニマリズムの目的は、人生の解像度を高めることであって、
支出を削ることではない。

ミニマリスト ≠ 節約家

ミニマリズムは、結果として節約になることはある。
でも、ミニマリズム = 生活をデザインする思想であり、節約が目的ではない。

もちろん、節約そのものを否定するつもりはない。
ただ、“節約こそがミニマリズムの本質”だという風潮には、少し違和感がある。

それは倹約家の哲学であって、ミニマリズムの本質ではないからだ。

ミニマリズムとは、

快適な生活をつくるために
自分にとって、あるいは人生にとっての不要なものを手放し、
必要なものに集中するための思想。

その結果として、生活コストが落ちることもあれば、
逆に増えることもある。

大事なのは
“快適さ” と “自分らしさ” の方だ。

生活は“整える順番”で軽くなる

今回の光熱費の変化は、あくまで副産物に過ぎない。

でも、この変化は大きな気づきをくれた。

・節約を目的にしない
・生活の最適化を目的にする
・その結果として暮らしが軽くなる

これが、僕にとってのミニマリズムだ。

あなたの生活で、
“最適化できる習慣” はあるだろうか?

生活は、削るよりも、整える方がうまくいく。

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ABOUT ME
Andy
メディアプロデューサー/プランナー|元ドキュメンタリー番組ディレクター テレビ番組制作を経て、2014年からウェブ広告業界へ。映像・グラフィック・デジタルを横断するディレクターとして、企業の広告戦略やブランド表現をトータルでプロデュース。現在はDot.のジェネラルマネージャーとして活動中。 一貫して「ディレクション」を軸に、メディアの変遷(テレビ → ウェブ → SNS)を横断しながら、その本質を言語化・体系化することに取り組んでいる。