この夏はトークイベントに始まり、トークイベントに終わった…と言っても過言ではないかもしれません。
7月の後半から1ヶ月間、福岡、東京、大阪と3都市をまたいで、クリエイター向けの「働き方」をテーマにしたトークイベントを開催してきました。
参加いただいたみなさま、ウェブで視聴いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
この記事では、3都市をまたいでボクが伝えたかったことをがっつりテキストにしていこうと思います。当然ですが、ボクが話したパートだけです。
あの会場では話したけど、この会場では話せなかった、みたいな話もちょいちょいあります。
(それぞれで微妙に時間配分が異なるため)
その辺りもちょっと補完できたら良いかなと思っています。
とはいえ、残念ながら、会場やウェブで直接感じた「リアルな熱量」はきっと伝えきれないでしょう。
なので、この記事のせいで今回の参加費が無駄になる、なんてことはありません。
むしろおまけエピソードと、当日の復習のための一材料として読んでもらえたらと思います。
もちろん、会場やウェブで直接見れなかったみなさまにも、それなりに有益な情報になるのではないかな、とも思います。
実際、ボクは「書くより話す方が得意」です。
そういう意味では、ちょっと記事だけだとパワー不足だと思うのです。
それでも、これが何かしらの参考やきっかけになると嬉しい限りです。
今回のトークイベント3連発は「ディレラボ主催」ということで、代表のセキさんと、MC兼任のボクが3会場全てで登壇しました。
そして、都市によって異なるゲストトーカーの方をそれぞれ招いての開催でした。
そのため、令和編についてはそれぞれの都市でゲストに合わせて多少のアレンジを加えています。
3都市で共通して打ち出したトークの柱は下記の3つ。
Chapter1 昭和・化石の価値観をぶっ壊せ!
Chapter2 平成・ゆとりの亡霊を追い払え!
Chapter3 令和・新時代のクリエイター生存戦略
(Chapter3だけは会場によって表記が異なる)
この3つの柱を軸に、それぞれ4つのキーワードを用意して話しを展開しました。
今日はその総括として、(ボクの話した部分だけにはなりますが)トーク内容のまとめを残しておきたいと思います。
昭和・化石の価値観をぶっ壊せ!
まずは昭和の価値観の洗い出しから。
ぶっちゃけ、ボクも昭和の時代から働いていたわけではありません。
生まれたのは昭和ですが、働きだしたのは平成の真ん中くらいからです。
にも関わらず、当時はまったく気がついてませんでしたが、いま振り返ると「昭和」の化石のような価値観は色濃く残っていたな…と感じます。
そして、それを令和になるこの時代にまで引きずっていたとしたら?
それはめちゃくちゃ危険なことです。
なので、まずは昭和編として、化石の価値観をぶっ壊すことからスタートしました。
昭和編で用意したトークテーマは以下の4つです。
一つ一つ紐解いていきますね。
私のブラックワーク経験談
この話は東京会場ではできなかったかな?
プロフィールでは紹介してますが、ボクのキャリアのスタートはテレビ番組の制作会社からでした。
ADからディレクターになり、自分の企画でドキュメンタリー番組を何本も制作しています。
3.11の震災ドキュメンタリーをそれなりの数制作したあと、ウェブ広告の業界に転身しました。
ディレクター当時の最もブラックな体験といえば、編集で10日間くらい泊まり込んだことですね。
ちょうど今くらいの時期で、半袖を着ていたはずが、仕事が終わって編集室から出てきたら、みんながもう長袖を着ていたのには衝撃をうけました。
タイムリープをリアルに味わったような感覚です。笑
この当時はめっちゃきつかったですね。
でも、不思議と辛いとは思いませんでした。
たぶん好きなことをしていたので、感覚が麻痺していたんだと思います。
また、テレビ業界しか知らなかったので、「これが当たり前」と思い込んでいた部分もあります。
それまでにも、10日間はなかったですが、1、2泊の編集はざらにやっていたからです。
いまはもう、とても出来る気がしませんが…笑
それくらい「周囲の常識」は自分の常識と同化します。
めっちゃ怖いことですよね。
残業や徹夜をするな、ということではありません。
その「当たり前」と思っている状況や常識が、本当に自分(あるいはその周囲)の中だけのものではないか、ちゃんと思考することが大事だという話しです。
そこを見て見ぬふりしたまま、令和新時代を生きていくのは難しいと思います。
ブラックかどうか、はひとそれぞれの価値観に依存します。
自分には辛い仕事内容でも、得意で余裕をもってやれる人もいるでしょう。
一般相対的な「ブラック」かどうかではなく、それをちゃんと自分軸で判断できる価値観は持っておきたいものですね。
大企業信仰の崩壊
大企業に勤めることが全てに近い感覚だった昭和時代。
その思考は今もまだ根強く残っています。
就活をするとき、ひとまず一部上場企業からエントリーシートを送った経験がある方も少なくないはず。
では、なぜみんな「大企業」に入りたいのでしょうか?
給与?福利厚生?潰れない?見栄?親の考え?
もし、盲目的に「大企業」を信仰しているとしたら、それはとても危険なことです。
以下のデータは、ツイッターに流れてきただけのもので、ボクが事実の裏どりをしたわけではないのであくまで参考例としてみていただきたいのですが、「令和になってからの大企業のリストラ数」だそうです。
6/24 損●ジャパン 4,000人
6/5 M●FG10,000人
6/4 み●ほ19,000人
5/26 富●通2850人
5/22 三井●友FG 5000人
5/14 ●産 4800人
いまは8月なので、もっと増えているかもですね。
このデータを見て考えるべきは、「大企業でもリストラがあるから安心とはいえない」ということだけではないです。
それはあくまで表面的なこと。
むしろ怖いのは、この数字の実態の方です。
どういうことか?
この退職者数の大半は「優秀な人材」である可能性が高いということです。
つまり、個人でもやっていける。あるいは別の会社に移るだけの実力がある。と判断して出て行っている人も多くいるということ。
そうなるとどうなるか?
大企業そのものの存続が危うくなる事態も発生する可能性がある、ということです。
(これは、会社に残られた方を悪く言う内容ではありません。あくまで「そこまで想像できますか?」という問いかけです)
ここまで想像せず、「大企業だから安心」「大企業に入りたい」と思っているとしたら危険です。
ちゃんと「自分の意思」で企業を選び、働く時代です。
盲目的な信仰はいますぐやめましょう。
とにかく3年神話
仕事を辞めようと思ったら、上司や先輩に「とにかく3年はがんばれ」みたいなことを言われた経験はありませんか?
まんまこのセリフではなくても、「ひとまずもう少しだけがんばれ」みたいな「根拠のない引き止め」をされたことはあるかもしれません。
これ、なんなんでしょうね?笑
もちろん、長くやることでメリットはあります。
仕事は覚えるし、要領は良くなる。
知見は深まるし、3年もがんばれば後輩への指導もできるようになりそうです。
でも、よく考えてください。
これって自分のメリットというより、所属している企業のメリットになってませんか?
上司や先輩にとって、またゼロから仕事を誰かに教えることはかなりコストが悪い。
なので、3年くらい頑張って、新人の一人でも育ててから出て行ってくれ…と、まぁそこまでリアルに考えてる上長は多くないとは思いますが、本質的にはこういうことだと思います。
一方で、一万時間の法則というものがあります。
何事も、本気で一万時間取り組んだら、その道のプロになれるという考え方です。
これ、1日10時間がんばると計算すると、ちょうど3年で一万時間になるのです。
なので、「とりあえず3年」というものあながち間違った考え方というわけではありません。
ここで大事になるのは「その3年」を「自分がやりたいこと」にちゃんと投下できているか、ですね。
デザイナーになりたくて、新卒採用で入社したとします。
業務はアシスタントからだけど、ちゃんとソフトも触れるし、少しずつ担当するエリアも増えてきている。
次は頑張れば一ページくらいは任せてもらえそうだ・・・
と言う場合と、
同じくデザイナーとして新卒採用されたけど、毎日毎日掃除とお茶汲みと資料集めだけ。
なのでは、3年間で得る経験値や濃度がことなるのは当たりまえです。
(掃除やお茶汲みも社会人としてできた方が良いですが、プロになる必要はない)
まずは「その環境」で「3年」がんばる価値があるかどうかはしっかり考えましょう。
当然ですが、入った瞬間から「デザイナー向いてない、やめよう」と思ったのなら、1秒でも早くやめるべきです。
社会人経験をつむための3年なら、その会社でなくても良いはずなので。
上司や先輩の引き止めは自尊心、自己承認欲求的には少し嬉しいかもしれません。
でも、大事なものを見失ったまま、無益な3年間をすごすのだけはやめておきましょう。
可能性をどぶに捨ててるのと同じです。
(逆にがんばりたいっと思える環境と状況なら、一万時間、ぜひがんばってくださいっ)
年功序列パラドックス
これは大阪編では深掘りできなかったテーマだったような記憶があります。
言いたいこととしては、「年上(先輩・上司)だから偉い」という時代は終わるよね。
完全に矛盾(パラドックス)だよね。って話です。
もちろん、年上を敬うのは素晴らしいことです。
日本という国の美意識として、美意識として、ここはボクも大切にしたいと思っています。
一方で、年上だから無条件で偉い、尊敬できる。という時代は終わりました。
これは、ボクが年上を見て言っているというより、年下を見て言っている感じです。
どういうことか?
PCソフトはもちろん、スマホの普及によってスキルはどんどん一般化してます。
ボクがなんとなくイラレやフォトショを使い、それなりにpremierで動画編集をしているのに対し、デジタルネイティブたちはもう二桁年数でイラレやフォトショを使いこなし、スマホを駆使して動画編集をする時代になりました。
もう、衝撃です。
このスキルの転覆を無視して、いつまでも年功序列にこだわっていたら確実に時代に取り残されます。
年齢を基準に序列をかんがえるなんて、もう馬鹿げたことでしかありません。
昭和のうちは、生きてる年数とスキルがかなりイコールに近い時代でした。
当然ですね。
経験値=スキルはいつの時代も変わらない真理ですが、その経験値を得るためには年齢が絶対条件だったからです。
ですが、いまはそれが完全に覆されました。
いまや、メールすら満足に使えない管理職がいたらかなり問題だと思います。
それがLINEになり、PCはモバイルになり、さらにこれからは5Gの時代です。
もう、上の世代がどう抗っても勝てる時代じゃありません。
なのにいつまでも年功序列の幻想に縛られていると、まちがいなく終わります。
この章は、自戒を込めて・・・笑
さてさて、昭和編だけでもかなりなボリュームになってしまいました。
これは平成編、令和編と分けて、3部構成にする必要がありそうです。
そんなわけで、今回は昭和編「化石の価値観をぶっこわせ!」でした。