さて、この夏に3大都市を駆け抜けて行ったクリエイター向けトークイベント。
 3都市で共通して打ち出したトークの柱は下記の3つでした。
Chapter1 昭和・化石の価値観をぶっ壊せ!
 Chapter2 平成・ゆとりの亡霊を追い払え!
 Chapter3 令和・新時代のクリエイター生存戦略
 (Chapter3だけは会場によって表記が異なる)
前回の昭和編に続いて、今回は平成編を掘り下げていきます。
平成編でも、昭和編と同じく「古い価値観」をベースに、それに縛られたままだと今後の新時代はうまくいかないかもよ?という部分をお話ししてきました。
特に意識したいのは「ゆとり」という言葉。
これ、本来は良いことのハズなんです。
ゆとりがある状態は、精神的にも健やかで、余白、余剰のある状態。
 何をするにも本来ならやる気がみなぎる準備ができます。
でも、気がついたら「ゆとり」はよくないイメージの言葉に格下げされてしまっていました。
 なので、メインのチャプタータイトルは「平成・ゆとりの亡霊を追い払え!」です。
この辺りを意識しながら、今回の記事も読んでもらえると嬉しいです。
平成編で用意したトークテーマというか、キーワードは以下の4つでした。

一つずつ、解説してみます。
フリーランス or 会社員
「フリーランス」という言葉が大きく取り扱われ始めたのは平成の後半くらいからでしょうか。
 「ノマド」という言葉と相まって、「自由な働き方の象徴」のように扱われた瞬間もあったように思います。
ですが、フリーランスってそれほど自由ではありません。
 なので、フリーランスという言葉の響きだけに憧れて目指すのであれば、それはちょっと違うと思っています。
ボクはフリーランスも会社員も、どちらも経験があります。
 その上で、今は会社員だけどかなりフリーランスに近い働き方をしています。
 ここを確立するまでには当然色々な試行錯誤とチャレンジがあったわけですが、まぁ、その話は別の機会に。
大事なことは自分の適正を知り、それをベースに働き方を選択することだと思っています。
これはフリーランスに限りませんね。
 「自分の好きを仕事にする」「時間や場所に捉われない」「ブログで月収30万」など、いろいろとそれらしい言葉が巷に溢れています。
 でも、それがその人の本質的な働き方にあっているかどうかなんて誰にもわからないわけです。
好きを仕事にしたせいで、ストレスに潰された人だっています。
 それなら、ストレスの少ない「得意」な仕事で稼いで(この得意については令和編で詳しく解説します)、週末に好きなことを趣味として満喫する方がより良い人生になる可能性は高い。
時間や場所に捉われない働き方のせいで、自堕落に陥り、収入を激減させた人もいます。
 それなら、企業組織の管理体制に能動的に従うことで、自分自身の生産性を高め、仕事帰りや土日に副業をするという「逆に時間と場所に捉われない」働き方をすることだってできるはずです。
ブログで月収30万だって、その手の才能がないと到達できないエリアです。
 頑張り続けないから届かない、頑張り続けたら必ずとどく。と届いた人はいつも言います。
 これは真理です。
 でも、大前提となる大事なことを忘れてはいけません。
1)頑張り続けられることもまた一つの才能だということ。
 2)達成した人しか成功は語れない。つまり、成功事例しか残らない。
 3)そもそも自分はブログ(もしくはそこに書くテーマ)がそんなに好きなの?
人の結果論だけ見て、盲目的に自分の行き方を決めるのは辞めましょう。
 それこそ、「ゆとりの亡霊」に取り憑かれてます。
もちろん、フリーランスとして働くことのメリットも大きいでしょう。
・頑張った分だけ収入が上がる。
 ・いろんな取引先を仕事ができ、知見が広がる。
 ・守備範囲が広くなり、新しい知識や技術を常に学び続けられる。
こうしたメリットをちゃんとメリットとして受け取れる、利用できる人だけがフリーランスとして活躍できるのだと思うのです。
一方で、会社員にだってメリットはあります。
・月々の固定給がある
 ・チームとして、大きな仕事に取り組める
 ・人材や資金など、会社のリソースを利用できる
 ・ちゃんと休みがある(超絶ブラックは別)
大事なのは、「どちらが自分の生き方にあってるか」を知ることです。
 そのために一度フリーランスを経験してみる。というのも良いと思います。
 週末副業なんかはオススメですね。
「好きなことで生きていく」の功罪
これは「思考停止のままフリーランスを目指す」というのとかなり密接な関係があると思ってます。
 「好きなことで生きていく」という言葉が流行りだした(あくまで流行だと思ってます)のは平成の終わり頃でしょうか。
 一部のインフルエンサーさんたちから発生した言葉のような気がしてますが、かなりのパワーワードですよね。
 だって、みんなそう生きていきたいに決まってますから。笑
これを目指して努力することはすごく良いことだと思ってます。
 でも、それを成すためにはかなりの努力をしなくちゃならない。
その努力の部分をすっ飛ばして、楽をしたいがための「言い訳」にこの言葉を乱用する人も増えてきました。
 「〇〇は好きなことじゃないからやりません」
 ってやつです。
こういう考えの人は、完全に本質を見失ってます。
 やはり「ゆとりの亡霊」に取り憑かれていると言わざるを得ません。
例えば、デザイナーになりたい。デザインが好きだから、デザインで生きていきたい!と思う人がいるとします。
その人が、「デザインはやりたいけど、デザインの勉強をするのは嫌だからやりません。好きなことだけでいきていきます。」
って言いだしたらどう思います?
「はぁ?」ですよね?
デザインの勉強も含めてデザインです。
 だからそれをやらなくちゃいけない。
「好きなことを仕事にする」ためには「好きでないことも含めてやらなくちゃダメ」なんです。
デザイナーになるためにはデザインの勉強が必要ってのは直接的なので、かなりわかりやすい例です。
 誰もが「当たり前だろ」と思うでしょう。
 でも、もう少し間接的に含まれれいるところまで見えてるかどうかは大きな違いです。
別の例として、サッカー選手なら、サッカーを仕事にしたいから、パスやトラップの練習は地味でも嫌いでもやるでしょう。
 「好きなことだけで生きていきたいので、シュートだけやります」という人はいないはずです。
サッカー選手にとっての筋トレとかもまだその範囲でしょう。
 では、食事の制限は?
 もっと言うと、禁酒することは?
 「我慢は好きなことじゃないからやらない」とした時に、これはサッカーに必要なことに含まれないでしょうか?
建築家になりたいのなら、計算ができるようにならなくちゃダメです。
 陶芸家になりたいのなら、土の買い付けは不可避でしょう。
どこまで、何をやれば良いかなんて誰にもわかりません。
 逆に言えば、どんなことでも経験すればその人の地肉になる。
 それがいつかどこかで花開く日もきます。
「好きなことで生きていく」のは素晴らしいし、むしろ目指すべきです。
 ボクだってそうしたい。
 だからボクもそれを目指してます。
でも、それを「やりたくないことをしない言い訳」にした瞬間に全てが終わります。
 「好きなことで生きていく」の功罪の罪の方が、この部分です。
「好きなことで生きていく」ためには、ありとあらゆる「やりたくないこと」を併せ飲む、そんな覚悟が必要だってことなのです。
「好きなことで生きていく」ことを達成した人ほど、尋常ならざる努力と我慢(そう感じてない人も多いですが…)を積み重ねているのだと知ることが大切です。
SNSが変えたビジネス戦略
facebookやTwitterがスマホの拡大とともに一般的に普及したはの2012〜13年くらいでしょうか?
 もちろん、もっと前から使っていた人も多いと思います。
でも、このSNSがビジネスに利用され始めたのはここ数年ではないかと思うのです。
 もちろん、そう言う使い方をしてる人も昔からいました。
 でも、今やかなり多くの人がアカウントをビジネスに紐付け、何かしらの情報を発信しています。
今や世の中は「大公開時代」なのです。
こういう利用の仕方をしないといけない。
 フォロワーを増やすにはこうだ。
 情報価値のないつぶやきは読まれない。
いろんな人がいろんな情報を公開しています。
 正直、大きなお世話。です。笑
SNSはもっと自由でいい。
 ビジネスで使いたい人はそうすればいいし、近しい友人とだけ繋がりたい人はその方が良い。
ここで言いたいことは、「使い方、ちゃんと自分で選べてますか?」ってことです。
誰かの言う「こうすべきだ」に捉われて、本来の自分らしい使い方を忘れ、あるいは無視し、ストレスを抱え込みながら日々発信していたりしませんか?
そんな状態もまた、「ゆとりの亡霊」に取り憑かれている。ということです。
ぶっちゃけた話、SNSをやっているだけで「何かしら仕事してる」気分になっている人は少なくありません。
 でも、それは確実に時間の無駄です。
例えばちゃんとターゲットを設定できてますか?
 SNSを営業に使うことでのゴールは?
 そのためのアウトプットは本当にTwitterが最適ですか?
何も考えず、「みんながやっているから自分も…」はめちゃくちゃ怖いです。
 自分が進んでいないどころか、周りが進むと言うことは自分は後退してることになります。
 だったらいっそ、SNSからビジネスを切り離した方がストレスなく頑張れます。
例えばボクは、自分の思考を垂れ流すのにTwitterを使っています。
 (告知、拡散にも使います)
自分の考えをいきなり記事に書こうとしても、考えていることが膨大すぎてまとまらないため、全然生産性が上がらない。
 であれば、140文字の制約のなかで、自分の考えを断片的に表現することで、情報密度を高め、言いたいことをまとめる方が良いと考えました。
なので、ボクのTwitterは記事作成のための下書きの分割。と言う位置付けです。
ちなみに、最初はミニマリストな日々をゆるーくツイートしているだけでした。笑
 そこから情報収集ツールに変わり、素晴らしいデザイナー、クリエイターの人たちと知り合うきっかけとなり、世界を広げるきっかけになりました。
 そして今「思考の垂れ流し」に落ち着いたところです。
Twitterについては、ボクはボクなりに、その時その時で、自分なりの使い方を変化させています。
 なので、そのうちまたミニマリストなツイート中心のアカウントに戻る日も来るかもですね。笑
 (ちなみにfacebookとInstagramは今のところアカウントがあるだけ)
話が逸れました。
そう言うわけで、ボクはTwitterで何かの仕事を受けようとはしていません。
 たまに突然来るDMで、デザイナーやディレクターの仕事を相談されることはありますが、基本的には「ボクでなければならない理由」を見出せない案件は全てお断りしてます。
だいたいそうした案件は「安さ」を求めて人を探しているからです。
 価格競争に飛び込む理由はありません。
アンケートや取材のお願いも同じです。
 「ボクが答えるべき内容か」「ボクだから話を聞きたいのか」と言う基準はかなり明確にしています。
 (こちらからお願いする時も、同様の基準でテーマと自分自身の親和性の高さを測ります)
これはあくまでボクの使い方ですね。
 こうした方が良いなんてことは一つもありません。
このテーマで言いたいのはただ一つ。
 「ちゃんと自分で考えてSNSを使ってますか?」
 と言うことです。
「SNSをやっていれば仕事が来る」は危険な思い込みです。
 目的を意識するからツールが生きるわけで、思考停止したまま使っていても意味がない、もしくはキツイだけ。
 (無意味に使う、と言うのも一つの使い方)
 自分なりの使い方をみつけた人が強いと言うことですね。
働き方の多様化に適応できない現実
これは大阪会場では話せなかったテーマかな?
平成も終わりに近づき、働き方は多様化しました。
 先述の「フリーランス」や「ノマド」もそうですし、「ブロガー」「ユーチューバー」「インスタグラマー」なんて言葉は昭和では考えることもできませんでした。
 さらには「プロ無職」や「プロ奢られヤー」みたいな、独自の肩書で唯一無二のポジションを取る方立ちも現れています。
 しかもそれがビジネスとして成立している。
 まさに「インフルエンサー市場」が確立されたと言えると思います。
 この流れは今後もまだまだ加速するでしょう。
そして、そうした生き方に憧れる人も増えてきている。
でも、ここでもちゃんと考えたいのは「本当に自分はそう生きたいの?」って部分です。
結局、インターネットには「成功者」の「結果」しか流れてきません。
 美味しい話、楽しそうな逸話、煌びやかな世界、彩り溢れた人生が情報の洪水として流れ込んできます。
その素晴らしい人生は、本当に自分が望んでるものなのか?
 ここは一歩踏みとどまって考えておくべきです。
これは極端な例ですが、そもそも目立つことが苦手なのに、インフルエンサーになりたいですか?
 話すことが得意ではないのに、ユーチューバーになりたいですか?
働き方が多様化したせいで、本質的には自分では望んでいない世界に憧れる人も増えてきました。
ストレスしか感じてないのに、周りが頑張るから自分もバリキャリにならないと・・・
本当はバリバリ働く方が好きなのに、友人がスローライフ最高って言うから田舎に引っ越そうかな・・・
どちらも本質とは真逆の生き方を選択しようとしています。
これ、危険です。
ボクは今、東京をベースに京都との2拠点生活を送っています。
 たまに福岡にも足を伸ばします。
これだけ動き回れるのは、「一箇所に停まれない性格」だからです。
 飽きちゃうのです。
まだ東京で消耗してるの?と言われても、ボクは東京のエネルギーが大好きで、田舎でやることがなくなると腐ってしまいます。(すでに実験済み)
 むしろ田舎にいることで消耗するタイプなのです。
かといって、確かに東京は人が長く住む街ではありません。
 だから毎月のように京都・大阪に行くようにしています。(京都・大阪でも仕事はしています。)
やはり京都と東京では時間の流れ、エネルギー、出会える人の種類が違う。
 ボクはそうしたいろんな場所からエネルギーをもらい、あるいは放出するのが好きなのです。
 でも、この生き方や暮らし方、働き方を「いいな」と思うだけで深く考えずに真似すると、多分凄まじいストレスを感じる人が多いはずです。
働き方(生き方)の多様化は、あくまで可能性の提示です。
 選ぶのは自分。
人に流されたままの選択では、確実に働き方の多様化に適応できなくなるはずです。
もし、今盲目的に何かに憧れているとしたら、ぜひもう一度、自分の足元を見つめなおしましょう。
と、言うことで、ここまでが平成編でボクが言いたかったことになります。
 次回はラスト、令和編。
 新時代の新しい働き方、クリエイターのサバイバル術、業界での生存戦略について書いていこうと思ってます。
さらに前後編にならないようにしなくちゃ…笑
ではでは、次回もぜひ、お楽しみに!
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