左ききのエレンに学ぶ集中力の質|ルーティーンが思考を深くする理由

マンガ「左ききのエレン」では、
集中力を“高める”のではなく“設計する”という視点が描かれている。
この記事では、作中に登場する
「集中力の質とルーティーン」という考え方を手がかりに、
なぜ人は集中できなくなるのか、
仕事や暮らしがどう影響しているのか、
そして、どうすれば思考の深さを取り戻せるのかを整理してみたい。
マンガの話で終わらせず、
WE的な視点で“自分ごと”に翻訳していこう。
左ききのエレンに描かれる「集中力の質」
「左ききのエレン」では、集中力を単なる精神論として扱っていない。
作中では、集中力を次の3つの軸で捉えている。
- 深さ:どれだけ没入できているか
- 早さ:どれだけ素早く集中状態に入れるか
- 長さ:どれくらい持続するか
ここで重要なのは、
「集中力=長く続けるもの」と決めつけていない点だ。
短くても深い集中。
浅いが素早く入れる集中。
それぞれに役割があり、
仕事や思考のフェーズによって使い分ける、
という考え方が示されている。
なぜ多くの人は集中できないのか
集中できない理由は、能力不足ではない。
多くの場合、原因はノイズの多さにある。
- 常に通知が入る
- タスクが頭の中に散らばっている
- 次に何をするか決まっていない
こうした状態では、思考の余白が生まれない。
集中しようとしても、判断疲れが先に来てしまう。
集中できないのではなく、
集中できない状態を放置しているだけ、という方が近い。
多くの場合、それは仕事の問題というより、
暮らしや環境が複雑になりすぎているサインでもある。
モノ、情報、予定が増えるほど、
思考は細切れになり、集中の入口が見えなくなるのだ。
そして、この話は、集中力だけの問題ではない。
暮らしや仕事に溜まったノイズをどう整理するか、という話でもある。
詳しくは、
40代からのミニマルライフ|暮らしを整える“思考のシンプル化”
で整理している。
WE的解釈:集中力とは高めるものではない
僕の視点では、集中力は鍛えるものではない。
それよりも、整えるものだ。
意志で何とかしようとすると、
集中は「頑張るもの」になり、長続きしない。
逆に、
集中に入るまでの動線を整えると、
意識しなくても自然に思考が深まっていく。
ここで鍵になるのが、
無意識の行動=ルーティーンだ。
無意識のルーティーンが集中を作っている
「左ききのエレン」では、集中に入るための“お決まりの所作”として
ルーティーンが描かれている。
自分自身を振り返ると、
集中に入る前には必ず同じ流れを辿っていた。
事務処理に入るときのルーティーン
- 起きてすぐタスクを確認する
- シャワーを浴びながら頭の中で段取りを組む
- コーヒーを入れる
- タスクを書き出す
- 処理するファイルをすべてデスクトップに集める
- 使いそうなソフトを先に立ち上げる
この一連の流れは、
集中力の「深さ・早さ・長さ」を段階的に切り替える装置になっている。
重要なのは、
これを意識してやっていなかったという点だ。
集中力は才能ではなく、設計である
集中できる人とできない人の差は、才能ではない。
設計の差だ。
- 集中に入る前に何をしているか
- どこで一度、思考を切っているか
- 何がトリガーになって再接続されるか
これらはすべて、後から言語化できる。
右脳的な発想が必要な場面では、
ひとりで考えるより、会話や書く行為がトリガーになることもある。
話しながら考える。
書きながら考える。
それもまた、自分なりのルーティーンだ。
そして実は、この無意識の行動を支えているのは、
意外と「いつも使っている道具」だったりする。
思考を止めないために選んできた道具については、
「10年支えてくれたシャーペンの話」でも触れている。
結論:整えた人から、深く考えられる
集中力は、
「気合で出すもの」ではない。
無意識の行動を見つめ直し、
ノイズを減らし、
思考の余白をつくる。
その延長線上に、
深い集中がある。
「左ききのエレン」が教えてくれるのは、
集中力の話であり、
同時に自分の扱い方の話でもある。
まずは、
仕事を始める前に必ずやっていることを一つ思い出してみてほしい。
そこに、集中の入口はもう用意されている。
合わせて読みたい
もし集中できない状態が続いているなら、
何かを「足す」より、先に「手放す」方が早いかもしれない。
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