COLUMN

おにぎり問題から考える、正解のないミステリー型課題に対するクリエイティブ・ディレクション思考

さて、今回はけっこう難しい、重めの内容になりそうですので、良かったらブックマークなどして、時間のある時にゆっくり読んでもらえたら嬉しいです。

以前、Twitterにこんな投稿をしました。

そして、現代社会では、この「ミステリー型」の課題がとても増えてきています。
これらについては、クリエイターとして、ディレクターとして、真摯に向き合っていくべきだ、と感じています。

そんな矢先、まさにこれを示すような課題が大学入試の試験で出題されたという記事を読みました。

投稿していたのはジャーナリストの佐々木俊尚さんです。

農家のおばあちゃんが手で握ってくれたおにぎりを多くの生徒が「食べられない」と残した時、担任教師であるあなたはどうするかという小論文の課題。
横浜市立大医学部2019年の入試だそうです。難問。/医学部入試で出た「他人のおにぎり問題」あなたはどう答えますか?

これはまさに前に投稿したミステリー課題。
今回はこの課題に対して、ボクならどうアプローチしていくのか、クリエイティブ・ディレクションの視点から掘り下げてみたいと思います。

ただし、特に入試解答を意識しているわけではないので、その点はご了承ください。

課題を分析する

さて、まず大事なのは「課題」の分析です。
特に、クリエイティブ・ディレクションの視点から課題を見つめるときに大事なのは「そもそも」の思考です。

この課題、「そもそも」何が問題となっているのでしょうか?
まず、問1のそもそも問題から掘り下げてみましょう。

[問1]あなたは、おにぎりを食べられない生徒に対しどのように指導しますか。

この問いにおいて、解決すべき課題ってなんでしょうか?
(あくまで、「課題」を追求します。どう指導するか、という問いへの回答ではありません。)

仮に、大半の生徒が無理やりおにぎりを食べたら解決するか?というとそうではありませんよね。
生徒の感情の問題が置き去りになります。

ここで大事なのは、「食べたくない」という生徒がたくさんいるという事実です。
これが、「他人の手で握ったおにぎり」だから問題が複雑になっています。

仮に、「アレルギーで食べたら危険」とかだったら、そもそも「無理やり食べる」は検討事項から削除されるわけですね。

そう考えると、まずは「嫌がる子に無理やりなにかを強いる。」という問題が見えました。
なので、これは「無理やり食べさせない」とすることで解決できそうです。

では、「無理やり食べさせない」とすると、次の問題は何でしょうか?

「おにぎりがたくさん余る」でしょうか?
確かにこれも問題ですね。

食料問題が世界規模で叫ばれているなか、「よし、食べたくない奴は食べなくていい。捨ててよし!」という解決策はかなり乱暴です。

そもそもこの体験学習が「食べ物への感謝を体感する」みたいなコンセプトがあるとするなら、それの真逆にいく行為は取るべきではありません。

なので、これは「食べられる人が2~3個食べる」とかにすれば解決できる可能性がありそうです。
その場で無理なら、持ち帰って、他の食べられる人に譲る手もありますね。

さて、食べない。しかも残さない。と解決してきたと仮定すると、あとは何の問題が残るのでしょうか?

作ってくれた人への感謝の問題。でしょうか?

これも確かにありそうです。

食べ物を粗末にしてはダメ。作ってくれた人への感謝をしなくてはダメ。
そういう考えや価値観ははるか昔から存在しています。

では、食べないこと=感謝していない。になるのでしょうか?

例えば、おにぎりは食べられなくても、そのおばあちゃんの行動や真心に感謝している子供はたくさんいそうです。
そう仮定すると、感謝を表す術が「出されたものを全て食べる」ことでしか表現されないのも少し窮屈な話になりませんか?

例えば、おにぎりだけでなく、その日1日の活動を支えてくれたについての感謝の手紙をおばあちゃんに書く。ということだって、十分な感謝を表す行動になるはずです。

その場合は、「食べない」という一つの行為だけを取り上げて、「この子には感謝が足りない」というのかかなり乱暴な気がしますね。

では、食べられる子供はしっかり他の人の分まで食べて、食べられない子供は今日1日の体験授業について、感謝を表す手紙(イラストや作品でもOK)を書く。

ということで解決はできないでしょうか?

残念ながら、解決しないでしょう。

なぜなら、一定多数の人が「アレルギーでもないのに食べないのはおかしい」「無理したら食べられるんだからがんばって食べろ」と主張するからです。

そこにはたぶん理屈はありません。
自分たちがそうやって教わって育ち、自分たちにはそれが容易な行為で、そして、それが正義だと信じて疑わないからです。

この思考や思想もまた、否定できるものではありません。
他人に自分の正義を押し付ける部分は別として、多様な考えがあること自体を否定する理由はないからです。
(もちろん、だから食べられないを否定することも出来ないのですが)

課題の本質と向き合う

さて、ここまで掘り下げると、この問題の奥に根付いていた「本質」が少しだけ見えてきた気がします。

それは何か?

おそらく「多様な価値観が生む、思考と思想、価値観のギャップ」と、それを「自分が正義だと信じ、他人に押し付ける」行為です。

どういうことか?

まず、多様な価値観があることは、これまでの分析で理解いただけると思います。

・おにぎりは食べられない
・おにぎりは食べるべき

・感謝はしている
・感謝が感じられない

・手紙で伝える
・食べないと伝わらない

めちゃくちゃ簡単に言うとこんな感じでしょうか。

もっと実際は複雑だと思いますが、こうした多種多様な思考、思想、価値観がこの「課題」の根底に渦まいています。

さて、この価値観が多様である部分はまだ大きな問題ではないのです。

「そっか、そんな考えの人もいるんだね!」
と、全員が全員を認め合えば、それまでのことだからです。

ですが、賛否両論が巻き起こるのはなぜか?

それが、後半のその価値観を「自分が正義だと信じ、他人に押し付ける」からです。

自分と同じ考えでないと認められない。という思考そのものが、他者を否定し、その行為を認めない。という行動に直結してきます。
この瞬間に、多様な思考、思想、価値観が歪み、軋轢を生み、争いを生み出すことになります。

これは宗教でも、政治でも、スポーツでも同じですね。
「ボクは巨人ジャイアンツが好きだ」
「ボクは阪神タイガースが好きだ」
と言ってるだけなら多種多様な価値観がある。という状態だけです。

これを

「巨人を応援しないやつは野球を語るな」
「阪神を応援しないやつは大阪から出て行け」

みたいな感じで、自分の価値観を「他人に押しつけ」始めると争いの元になるわけです。

少し例えが極端ではありますが、この問題の根底に潜む課題の本質は「他人の価値観を受け入れられないことから生じる他者否定の行動(言論)」にあると推測します。

課題解決の思考①

さて、まだボクの頭のなかでの仮説レベルではありますが、なんとなく課題の本質が見えてきたような気がしています。
では、クリエイティブでこれをどう解決するのが良いのか?

この記事を書きながらの思いつきレベルですが、正直、即効性のある解決は難しそうです。

根本の課題を解決するためには、まず「価値観のギャップ」から生じる思考と行動の摩擦をなるべく減らしていく必要があるからです。

そう言う意味では、いまの時点でできそうなこととしては、「多様な価値観がある」ということの「認知の拡大」くらいでしょうか。

「他人の握ったおむすびが、食べられない人もいる」ということを一般的な認知として広め、「価値観のギャップ」を可能な限り減らしていく方法ですね。

ポスターにする。
新聞広告に出す。
SNSで漫画にする。
コミュニティをつくる。
AC広告機構のCMにする。

こうした認知の拡大、向上には広告は効果的ですね。

ちなみに、価値観のギャップが生み出す社会課題は、おにぎりに限らず、多くのものが現代社会に溢れています。

現代社会が「パズル型」の課題より、「ミステリー型」の課題が多くなっていることを肌で感じる事象ですね。

もう一つの課題も考える

さて、では問2についてはどうでしょうか?

[問2] あなたはこの事実をおばあさんにどのように話しますか。

この問いにおいて、解決すべき課題ってなんでしょうか?
(これもあくまで、「課題」を追求します。どう指導するか、という問いへの回答ではありません。)

まず思いつくのは、「事実を知ったらおばあさんが悲しむだろう」という感情問題です。
もちろん、これは推測で、おばあさん的にはよくあることかも知れません。
ただ、こちらはそれを知らないので、やはり他者への配慮は考えたいものです。
倫理や道徳の課題ですかね?

この「事実」とはそもそもなんでしょうか?

・大半の生徒が食べなかったこと

であれば、自分の握ったおにぎりが不衛生と思われた=自分自身を否定された。みたいな図式になるかも知れません。

・大量に残飯が出た

であれば、食べものへの感謝の足りなさや、もったいなさ、ですね。

もしかしたらもっと細かく分解できるかも知れません。
課題は本質にいきつくまで、なるべく因数分解することが大事です。

さて、仮に食べられる生徒が代わりに食べて、(あるいは持ち帰って)残飯が出なかったと仮定すると、この問題は解決でしょうか?

おばあさんには「クラスみんなで美味しくいただきました」と伝えたら嘘ではないわけです。

確かに表面的な課題はこれで解決しそうです。

ですが、それでは「根本」の課題を解決したことにはなりません。

なぜか?

なぜなら、おばあさんは「来年も同じようにおにぎりを用意する」からです。
そして、来年も同じような問題が起きるでしょう。

これは「課題」の本質を見つけ出し、根本的に解決するというクリエイティブ思考に反しています。
ここで適切に解決しておきたい部分ですね。

課題解決の思考②

では、どうするのが良いのか?

ボクなら、まずは「クラスみんなで美味しくいただきました」とは伝えると思います。

その上で、「実は、最近は他人が握ったおにぎりが食べられない子が増えてまして・・・」と一般論で話をするでしょう。
この時点で、ボクの中では、今回何人が食べなかったのかはもう問題ではなく、来年はもっと食べられない子供が増えている可能性が高い方が問題だと考えています。

さらに「なので、来年はご飯を炊くところから子供達と一緒にやらせてもらえませんか?」と新しい企画を提案をします。

で、「炊きたてのご飯をそのままお茶碗によそって食べたり、自分たちでおにぎりを握らせたり、卵かけご飯にするなど、その場でそれぞれがいろんな食べ方を出来るようにするのはどうですか?より、お米の美味しさが引き立つと思います」

と、新たな取り組みの提案をするのです。

こうすることで、稲刈りの体験だけでなく、自分たちの収穫したお米をどう調理して食べるか、という部分まで踏み込んだ体験ができるようになります。

他人のおにぎりが食べられないのであれば、自分で握ってもいいし、なんならおにぎりにせずにお茶碗で食べても良いでしょう。

多種多様な体験を通して、おばあさんへの感謝も伝えつつ、おばあさんは子供達とさらに密に触れ合うことができるようになるわけです。
(もちろん、この提案そのものが良いかはまた別で熟考の余地はあります)

当然ですが、このアイディアに対して、「おばあさんの手間が増える」とか「体験学習の時間が伸びる」とか「衛生面はどうするんだ」みたいな反対意見もたくさん出ると思います。
でも、そこまで具体的な意見については、その多くは「パズル型」の課題として解決できそうです。

むしろミステリー型の課題の本質である、現状の根本的な問題を放置したまま、表層だけ何もなかったかのようにするよりはるかに前進しているとは思うのです。

さらに、複合案としては、問1の「認知拡大」と絡めて、子供達が美味しそうにお米を食べる姿をSNSなどで発信することも出来そうです。

おにぎりは食べられなくても、炊いたお米が食べられるのであれば、感謝も伝わり、お米も無駄にしないわけですから、問題はかなり少なくなっているはずです。

こうした回答、解決策にベストはないかも知れません。
でも、その中でよりベターな回答を探るのがクリエイティブ・ディレクションの思考です。

今回はこうした日常の課題から「本質」を探る訓練をしてみました。

もちろん、これらはボクの一意見です。
正解はひとつではないし、クリエイティブ・ディレクターの数だけ回答があると思ってます。

ディレクターとして大事なことは「本質」と向き合うこと。

そうした部分をお伝えしたくて、今回は恥ずかしながらボクの思考をご紹介してみました。

この課題については、いろいろな意見があると思います。
ぜひ、自分なりの回答、解法を考えてみてください。
とても良い思考のトレーニングになると思います。

課題が渦巻く社会だからこそ、ボクらクリエイターの果たす役割はどんどん大きくなっていくと思っています。
社会課題に限らず、会社や業務の課題も、同様に本質に向き合うことで解決の糸口を探れます。

ぜひ、課題の本質と向き合う意識を持ってみてください。

それではまた。

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ABOUT ME
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Andy
we.編集長/Design Offiice io COO./Creative Director|東京⇆京都の2拠点生活。| 企業の経営課題を解決するデザイン・コンサルやクリエイティブ・ディレクションやってます。|ミニマル思考と独特の着眼点で「?」を「!」にする発想・提案が得意。|日本のビジネスにクリエイティブの革命を起こしたい。