「持たない方が合理的」だったミニマリストが、エコバッグを持つようになった理由

東京にいた頃、僕はエコバッグを持っていなかった。
環境に興味がなかったわけじゃない。
単純に、計算した結果、持たない方が合理的だったからだ。
レジ袋は、ゴミ袋として使える。
家庭ゴミを出すには、どのみち袋が要る。
だったら、買い物のついでにもらったレジ袋を、そのままゴミ袋にすればいい。
エコバッグを一枚買うのと、一年分のレジ袋代を払うのと。
比べてみたら、後者の方が安かった。
だから僕は、レジ袋派だった。
エコバッグは、正直ちょっと意識の高い人の持ち物だと思っていた節もある。
でも、地元に戻ってきて、その計算が崩れた。
地元では、レジ袋がゴミ袋にならない
地元では、ゴミ袋が有料の指定袋になっている。
コンビニのレジ袋をもらっても、それをゴミ袋として使うことはできない。
つまり、レジ袋を買う。
さらに、ゴミ袋も買う。
二重に払うことになる。
それなら、買い物の時にレジ袋をもらわず、エコバッグを使った方がいい。
東京では合理的だった選択が、住む場所を変えた途端に合理的ではなくなった。
そんなわけで、僕は今、エコバッグを持っている。
東京にいた頃には要らなかったものが、地元では必要になった。
合理性を追いかけていたら、いつの間にか正反対の結論に着地していた。
我ながら、とても合理主義だなと思う。
最適解は、場所によって変わる
試してみると、
エコバッグ生活は、意外と悪くない。
ただ、たまに困ることもある。
エコバッグを持たずに出かけて、思いのほかたくさん買ってしまう日がある。
そういう時、あの薄いレジ袋一枚に葛藤が生まれる。
たかが3円、5円とはいえ、追加で支払うのは悔しい。
一度家に取りに帰るのも癪だ。
だいたい面倒になって、そのまま抱えて帰ることになる。
正直、レジ袋くらい、ゴミ袋として使わせてほしいと思っている。
このあたりは、まだ折り合いがついていない。
でも、暮らしの最適解なんて、案外そんなものなのだと思う。
住めば都ともいうけど、
住む場所が変われば、ルールが変わる。
生きていくって、そういうことだ。
だから、一度出した答えに、いつまでもこだわる必要はない。
僕の家には、ゴミ箱もない
ちなみに、僕の家にはゴミ箱がない。
紙袋にゴミ袋を被せて使っている。
わざわざゴミ箱を買わないのは、あの存在感が苦手だからだ。
部屋のどこかに、ゴミ箱然としたものが鎮座している。
それだけで、
「ここにゴミがあります」
と、ことさらに主張されている気がする。
紙袋なら、そうはならない。
部屋の片隅に、慎ましく置いてある。
ゴミ箱というより、ただの紙袋に見える。
それくらいが、ちょうどいい。
モノを減らすより、モノの気配を減らしたい
エコバッグを持つかどうかは、もう経済合理性だけの話ではなくなった。
住む場所が変われば、暮らし方も変わる。
そのたびに、自分にとっての最適解を考え直せばいい。
ミニマリストだからエコバッグを持つ。
ミニマリストだからゴミ箱を持たない。
そういうルールを作りたいわけではない。
むしろ、ルールそのものを増やしたくない。
その時の暮らしにとって、何が一番ノイズが少ないか。
僕が考えているのは、たぶんそっちだ。
そして、ゴミ箱を持たないという選択には、もう一つ理由がある。
そこに何を置くかより、それをどう見せないか。
僕が気にしているのは、たぶんそっちの方だ。
モノを減らすことと、モノの気配を消すこと。
似ているようで、少し違う。
家具を減らして、床を広くする。
必要なものだけを残す。
それだけではなく、視界に入ったときの「存在感」まで減らしていく。
僕にとってのミニマリズムは、後者の比重が案外大きいのかもしれない。
エコバッグを持つようになったのも、ゴミ箱を置かないのも、結局は同じところにつながっている。
暮らしを、少し静かにする。
そのためなら、以前の自分の答えを変えることも、悪くないと思っている。
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