40代になると、
以前は気にならなかった身体の変化が、少しずつ増えてくる。

疲れが抜けにくい。
無理をすると、翌日まで残る。
長時間座っていると、身体が重い。

でも、動けているうちは、それを深く考えることはなかった。

僕もそうだった。
身体のことは後回しにして、仕事や暮らしのことばかり考えていた。

そんな僕が、身体について考えるようになったきっかけは、アキレス腱を切ったことだった。

とにかく、不自由の極みだ。
だからこそ、歩くことも、階段を上ることも、靴を履くことも、それまで当たり前だったことが、ひとつずつ「意識すること」に変わった。

それ以来、僕は身体についても、少しずつノイズを減らすようになった。

何か特別な健康法を始めたわけではない。

無理を減らす。
身体を動かす。
食べすぎない。
ちゃんと呼吸する。

そのくらいのことだ。

40代になって感じるのは、身体も、暮らしと同じようにメンテナンスが必要なのだということだった。

ある日、身体が突然止まった


一年前、アキレス腱を切った。

社会人バスケをしていた時のことだ。
あまりにも突然だった。

痛みよりも先に

「動けない」

という事実がやってきた。

立てない。
歩けない。
思った方向にすぐに移動ができない。

それまで普通にできていたことが、突然できなくなる。

身体が言うことをきかない。

それは、思っていた以上に心に残った。

身体を「当たり前の道具」だと思っていた


それまでは、健康について深く考えていたわけじゃない。
無理はきかなくなってきたな。
疲れが抜けにくくなったな。

そんな感覚はあった。

でも、どこか他人事だった。

動けているうちは、それで問題ないと思っていた。
仕事があれば仕事をする。
予定があれば出かける。

疲れていても、多少なら無理をする。

身体は、こちらが動こうと思えば動いてくれるもの。

どこかでそんなふうに考えていたのだと思う。

今振り返ると、自分の身体を「当たり前の道具」のように扱っていた。

壊れるまで、メンテナンスの必要性に気づかなかった。

動作ひとつひとつに、身体がいる

アキレス腱を切ってから、日常の輪郭が変わった。

歩く速度。
階段の段差。
靴を履く時間。
立ち上がる動作。
お風呂での立ち回り。
トイレに行く煩わしさ。

今まで意識していなかったことが、ひとつひとつ、はっきりとした存在感を持ちはじめた。

歩くというのは、ただ足を前に出すことじゃない。

身体のいろいろな部分が、当たり前のように連動している。

その当たり前がなくなって、初めて気づいた。

身体は、黙ってついてきてくれるものじゃなかった。

毎日使っているものだからこそ、手をかける必要がある。

モノを大切にすることと、少し似ているのかもしれない。

回復のために、生活を少しずつ変えた


回復のために、生活を少しずつ調整するようになった。
いきなり何かを変えたわけではない。

大きな目標も立てていない。

ただ、

身体に負担をかけすぎないこと。
回復する余地を残すこと。
できることを、できる分だけやること。

それを意識するようになった。

BAKUNEを試してみたのだって、その延長だ。

考えてみれば、これは僕が暮らしについて考えてきたこととも似ている。

モノを減らす。
予定を詰め込みすぎない。
必要以上に管理しない。
暮らしに余白をつくる。

身体にも、同じように余白が必要だった。

鍛えるより、まず動かす


ジムに通うようになったのも、その延長線だった。
鍛える、というより、動かす感覚を取り戻したかった。

今日は腹筋だけ。
明日は上腕。
その次は、少しだけ脚。

できることを、できる分だけ。
毎回きっちりメニューをこなそうとも思っていない。

以前なら、「やるならちゃんとやらないと」と考えていたかもしれない。
でも今は、続けられることのほうが大事だと思っている。

完璧に鍛えることより、身体を放置しないこと。

そのくらいの距離感が、今の自分には合っている。

食事も、少しだけ変わった

食事についても、完璧な管理をしようとは思わなかった。
続かないのが分かっていたからだ。
まずは食べすぎないこと。
そして、空腹の時間をつくること。

それだけでも、身体の感覚が少し研ぎ澄まされる日があった。

もちろん、酔えば夜中にラーメンを食べることもある。
暴飲暴食してしまう夜も、今でもなくならない。

だから、健康的な生活を完璧にできているわけではない。

ただ、以前とは少し違う。
食べたものや食べ方が、自分の身体にどう残るのか。
それを少しだけ意識するようになった。

完璧じゃなくても、意識するだけで変わることはある。

今はそう思っている。

呼吸をする時間をつくる

もうひとつ、大きかったのは呼吸だった。

満員電車。
交通渋滞。
終わらない通知。
仕事の連絡。

気づけば、息を浅くしたまま一日を過ごしていることが多かった。

体が疲れているというより、ずっと緊張したままなのかもしれない。

だから、月に一度は温浴施設に行くようになった。

岩盤浴で、何も考えずに汗をかく。
露天風呂で、空を見上げる。

小鳥の声に気付けたとき、

「ああ、こんな音、普段は聞いていなかったな」

と思った。

何かをしなければいけない時間ではない。

スマホを見る必要もない。

ただ、そこにいる。

すると、呼吸が自然と深くなっていく。

身体を休ませるというのは、何もしないことなのかもしれない。

身体のノイズを減らす


こうして振り返ると、アキレス腱を切ってから始めたことは、どれも特別なことではない。

ジムに行く。
食べすぎない。
温浴施設に行く。
ちゃんと休む。

でも、以前の僕にとっては、身体のことを「自分から考える」ということ自体が少なかった。

仕事の予定は管理する。
家の中は整える。
持ち物は減らす。

なのに、一番長く付き合う身体のことは、後回しにしていた。

そこに気づいてから、少し考え方が変わった。

モノを減らして暮らしのノイズを減らすように、

身体にかかる無理も減らしていく。

それも、ひとつのミニマリズムなのかもしれない。

40代になって、身体も「持ち物」のひとつだと思うようになった


ミニマリストになってから、ずっと「何を持たないか」を考えてきた。

家具を減らす。
服を減らす。
必要のないものを買わない。

でも40代になって、少しだけ視点が変わった。

減らす対象は、モノだけではない。

余計な予定。
無理な付き合い。
必要以上の仕事。
そして、身体への負荷。

そういうものも、少しずつ減らしていい。

当然、体は壊れたからといって、新しいものに交換することもできない。

だからこそ、今ある身体を、できるだけ長く使っていく。

そんな当たり前のことを、アキレス腱を切って初めて実感した。

身体にも、余白を残しておく


人生は、突然止まることがある。
大げさな話じゃない。
本当に、ある日いきなり。
だからといって、怖がる必要はないと思う。

ただ、今の身体に少しだけ手をかけてみる。
無理をひとつ減らす。
少し歩く。
ちゃんと休む。
深く呼吸する。

もちろん、それが未来への投資なのかどうかは、正直まだ分からない。

でも少なくとも、自分の人生を他人事にしないための、ひとつの行為ではある気がしている。

モノを減らすことから始めたミニマリズムは、少しずつ形を変えてきた。

部屋からモノを減らす。

暮らしからノイズを減らす。

そして今は、身体から無理を減らす。

40代になって、ようやくそんなことを考えるようになった。

まだ答えは出ていない。

でも今は、これくらいの余白を、身体にも残しておきたいと思っている。

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ABOUT ME
yohaku
余白のある生き方を探しながら、 40代の暮らし・働き方・持ち物を“整える”ための思考を書いています。 ミニマル思考、Quiet Luxury、道具から学ぶ哲学。 心と生活が軽くなる視点を、日々の実践から発信中。 元ドキュメンタリー番組ディレクターを経て、 現在はブランド設計・クリエイティブの仕事に携わっています。 「ものを減らす」の先にある、 “どう生きるか”を一緒に考えるための場所です。