ディレクション入門

人生の「旬」は常に今日、いま、目の前にある。ー学ぶと動くの大きな違いー

どんどん冬が深まっていく。
冷たい霧雨の降る日曜日。
今年も残すところあと40日を切った。

毎年、このくらいの季節になると、「あれをやればよかった」「これもしたかった」と多少なりとも思い返すものだけど、不思議と今年はそれがない。
たぶん、今年はそれなりにやりたいと思ったことを全力でやってこれたからだと思う。

いろんなことを学び、いろんなことに挑戦し、いろんなことを達成することができた。
もちろん、まだまだ進行中なこともある。
来年にはまた新しいことを始めたいと、いまから仕込んでることもある。

大事なのは、未来を見ること。
そして、やろうと思った時、即座に動くことだ。

タイミング

ボクは、何かを学んだり、始めたりするのに、「遅すぎる」と感じることはない。
むしろ、そう思ったということは、今がそれを学ぶための「旬」のタイミングなんだ、と思う。

例えば、学校の勉強を思い出してもらえばわかる。
無理やり押し付けられたカリキュラムからの学びは、今はほとんど役に立っていない。
でも、あのとき夢中になってやったバスケは今も続いているし、幼い頃に好きだった漫画やイラスト、小説なんかは今のクリエイティブの礎になっている。
ずっと続けてきたわけでなくとも、今日という日に大きな影響を与えてることは間違いない。
いつ始めたか、なんてのは何の意味もないんだ。

自分がやりたいとき、思い立った時、ピンときたとき。
それが「学ぶ」ときの適切なタイミングなんだ。

だから、「ああ、あのとき学んでおけばよかった」と考えることはナンセンスだと思う。
学びたいと思ったのだから、「今」始めればいい。
理屈はとてもシンプルなんだ。

変化を楽しむ

これは「何かを変える」ときにも当てはまる。
その時が「動くための旬」だからだ。

だからボクはすぐに動く。

2019年は月に一度は大阪・京都に遊びに行こうと決めた。
そうすると、大阪で仕事が生まれた。

トークイベントを開催し、自ら登壇してみた。
自分の考えを言語化することの大切さと、その術を学べた。

コミュニティの立ち上げに複数関わった。
Office io を立ち上げるときの戦略設計に役立った。

細かいことを数えたらきりがないけど、基本的には面白そうと思ったことには即座に反応して、即座に「動く」ようにしてきた。

そこから得たものは計り知れない。

「学ぶ」と「動く」の大きな違い

これも経験したからこそ言えることだけど、「学ぶ」のと「動く」のには決定的な差がある。
それは「失敗」という結果を含むかどうかだ。

そもそも、「学ぶ」ことに失敗はない。

本を読んだり、人の講演を視聴すると、知識が増えるし、仮にその学びが今後どこで使われることがかなったとしても、本人に痛手はない。
使ってないことすら気がつかないかも知れない。

でも、「動く」となると話は別だ。
その先には「未知の未来」が待っている。

大阪に行くだけでは何も生まれないかも知れない。
トークイベントを開催しても赤字になるかも知れない。
コミュニティを立ち上げても誰も入ってくれないかもしれない。

当然、「いまより悪くなる可能性」が頭をよぎる。
だから人は動けない。

でも、本当はもう一歩踏み込んで考えるべきなんだ。
「動かない」ことで起こりうる、「失敗の可能性」の方を。

失敗ってなんだろう?

みんなが恐る「失敗」。
でも、そもそも「失敗」ってどういうことだろう?

もちろん、「失敗」の定義はその人次第だから、一概には言えないけど、それぞれみんな、自分の中で何が「失敗」なのかは考えておいた方がいいと思う。

「動くと失敗する」と思って未来を恐るなら、それと等しく「動かないと失敗する」という可能性だってあるはずだ。
その両方の可能性を同等に考えてから「動く」か「動かない」かの結論を出すべきだとボクは思う。

例えば、「転職」という動きをしたい、と頭では考えている。
でも「失敗」が怖くてできない、という場合。

ここでの失敗とは何だろうか?

「給料が減る」
「人間関係のストレス増加」
「業務時間の増加」

単体ではなく、いろいろ複合的なものはあると思う。

だからと言って、それを眺めているだけでは不安は解消されない。
なのでそ自分が想像しうる「失敗」を可能な限り因数分解していく。
できるだけ細かく書き出して、全体を俯瞰する。

その後、その因数分解した解を一つ一つ、「動かなかった場合」に起こり得ないかを検証していく必要がある。

例えば「給料が減る」という失敗。

これは本当に「動かない」と起き得ない失敗なのか?

いまの会社のままで確実に昇給するのか?
昇給までしなくても、現状維持をできるのか?
現状維持できるとしたら、それはいつまで?
いまの会社が倒産しないという保証は?AIやIT技術に取って代わられて、自分の仕事がなくなる可能性は本当にないのか?

そう考えていくと、「動かないこと」もまた「動くこと」と変わらないリスクを秘めていると気づくと思う。

そこまで分解できたら、ボクなら出す答えは一つだ。

「動いても」「動かなくても」どちらにしろ失敗のリスクがあるなら、「未知の可能性」を残す「動く」を選ぶ。
少なくとも、「動きたい」と思った瞬間から、その職場には魅力を感じていないのだから。

自分の責任を取れるのは自分だけ

変化を好み、受け入れられる人間は多くない。

みんな、安定が好きだし、楽だ。
でも、それでは未来は変わらない。
未来を変えるには、今を変えるしかないから。

やみくもに「動く」ことを勧めたいわけじゃない。

「現状の方が良い」と「未来が怖い」では、同じ「動かない」という選択の理由だとしても、天と地ほどの隔たりがある。

怖れても、怖気付いてもいい。
でも、思考を止めちゃダメなんだ。

考えて考えて、考え抜いた先の「動・不動」であるべきなんだ。

自分の人生を創るのは自分だけ。

自分の人生に責任を持つのも自分だけなのだから。

 

ABOUT ME
Andy
we.編集長/Design Offiice io COO./Creative Director|東京⇆京都の2拠点生活。| 企業の経営課題を解決するデザイン・コンサルやクリエイティブ・ディレクションやってます。|ミニマル思考と独特の着眼点で「?」を「!」にする発想・提案が得意。|日本のビジネスにクリエイティブの革命を起こしたい。