COLUMN

「フォロワーを増やす方法」なんか追いかけても、得るものなんて無いかもよ?

発信力について

発信力は、ないよりはあったほうが良いのかも知れない。
でも、それが何のために必要なのかをちゃんと自分で理解して発信力を持とうとしている人は実は少ないのではないかな、と思っていたりする。

例えば、ボク自身が、もともと「発信力」について大きな勘違いをしていて、大きな学びを頂いたという経験がある。

それまでのボクは、大した発信もせずに、勝手に「発信力」が無い。あるいは「発信は苦手」と決めつけてきた。
ある意味それは自分の発信に対する自己肯定感の低さなのかも知れない。

苦手だからと目を背けてた。
いや、苦手だと言い訳して、向き合おうとしないどころか、発信すらしていなかったのだ。

でも、そもそもの前提として、ボクは「誰かに何かを伝えよう」としていたのか?
それをした上での「苦手」という判断か?
という問いに立ち返った時、答えは「No」だった。

ツイッターにしてもnoteにしても、ひたすら自分の思考を垂れ流してきただけで、「誰かに何かを伝えよう」とはしてきてない。
それを見て見ぬフリして「発信が無い」とか「発信は苦手」なんておこがましい。
恥ずかしいことに、ボクはその時はまだ、発信のスタートラインにも立てて無かったのだ。

そして、何もいきなり1000人、いや、100人に伝える必要なんてない、ということも大事なポイント。

例えば、オンラインでトークイベントをしようとした時、最初に来てくれるのは知り合い数人かも知れない。
それなら、まずはその数人に伝えることから始めたらいい。

何かしらが伝わったとしたら、次は10人、20人と増やしていく。
それが「発信力が上がっていく」ということ。
いきなり数人から一万人に増えたりなんかはしないのだ。

次に、オンラインではなく、実際に会場を押さえてトークイベントを開催するとしよう。
会場のキャパを考えると、多くて30人くらいの人が入れる広さが手頃かと思う。

次はそのトークイベントに来てくれた30人前後の人に伝われば良いと考える。
30人なら学校のひとクラスくらいだ。
丁寧に伝えようとすれば届かない人数じゃない。
もし届かないなら、理由を考えて分析し、改善すれば良い。

あとはこれを繰り返していくだけなのだ。

だからこそ、もし、発信力=フォロワー数と誤認しているとしたらそれは危険だと思う。

本当の発信力とは、「届けたい人に届けたい情報を正確に届ける」ことができる能力の方だから。
フォロワーが多い人はそれが上手いかも知れない。
でも、フォロワーを増やしたところで、それが絶対に上手くなる保証は無い。

特に、薄っぺらなフォロワー増やしの記事を読んで頑張ったところで、そこで身につく能力は「発信力」とは別物になってしまう可能性の方が高いと思う。
(その能力が欲しい人は良いと思うけど、どこに使うのだろう???)

発信力はあるのではなく、育てるもの

現在どんなに著名なインフルエンサーさんだって、Twitterやblogを始めた時、フォロワーは数人からスタートしてる。
そこからこれまで積み上げて、今の発信力を手にしてるということ。
ちょうど仕事の積み上げの話をしてて、全く同じことをキャリアデザインで言っていた。
それと同じことなんだよね。

それに気がついた時、自分の「発信力」に対する傲慢さ、無知、無思考を棚に上げて、無意識に斜め上から見ていた事実に愕然とした。
本当に恥ずかしい。
でも、その時に気づけて良かったとも思ってる。
これまで出来なかったこと、気づけなかったことを知れたことは成長だから。
才能とくくって思考停止しちゃダメなんだよね。

誰に、何を伝えたいか、それがあって初めて発信力は育っていく。

それに気がついて、この記事サイトを立ち上げ、明確な目的を持って発信をするようになったのが1年半前。
気がついた当時よりもずいぶん多くの人がボクの発信を見てくれるようになったと思う。

でも、気がついたら忙しさに流されて、記事の更新がおざなりになっていた。
ボクはまた発信に対して傲慢になっていたのかも知れない。
だからこそ、伝えようと思った、もっと。

月に1、2回しか書けないとしても、この記事サイトをやめようと思わないのは、やっぱり読んでくれる人がいるからなんだよね。
伝えたいことがあるし、伝えたい人がいるからなんだよね。

そして、それはこれからも変わらないんだと思う。
唐突だけど、読者のみなさん、いつもありがとう。

何より大切なこと

これだけ成功者の声が大量に流れてくる時代において、発信力や情報に踊らされないためにも最も大事なのは「人と比べない」スキルなのかも知れない。

テレビの情報が全てだった時代が終わったのに、ボクらはまだ「正解と思しき大多数」を求めてる。
あれが良いと言われたらそちらへフラフラ…
これが良いと言われたらこちらへフラフラ…

マスメディアの時代は、誰か一人のカリスマに憧れる時代だった。
キムタク、アムラー、浜崎あゆみ・・・
カリスマがある種の偶像崇拝に似てるのは、「それ」しか情報がないから。

今は逆に「これはどう?」「あれはどう?」といろんな情報がいろんな選択肢を突きつけてくる。
あの人はこうしたら成功したよ?
この人はこんな考えだからうまく行ってるよ?

でも、それって結局、なんでもない一般人の再現性のない成功を追ってるだけかも知れない。

そんな「見せかけだけの発信力」に踊らされてないかな?

比べるか、比べないかは自分次第。
どの情報を選ぶのかも自分次第。

自分は自分でしかないから、誰かの背中を追いかけたって、その人にはなれないんだよね。

もちろん、目標として追いかけることが悪いとは思わない。
大事なのは、思考停止しないこと。
あの人が言うことは正しいって、勝手に思い込んで付いていかないこと。

背中を追うのと、ただ真似るのは、全くの別物だから。

自分が心地よい居場所を探すのは大事。
無理に周りに合わせる必要なんてないんだよね。
水たまりが狭ければ池に行けばいい。
池が狭ければ湖に。
逆に海が広すぎるなら湖に戻ってもいい。
行った先には、必ずその広さを心地良いと感じる仲間がいる。
心地よい環境で、自分に無理がない方が、人生は有意義になる。

一方で、自分が成長を求めるのなら、居心地の良い場所から出ないとダメなのも事実。
居心地が良いということは、無理をしなくて良い状態ってことだから。
筋トレと同じで、ある程度負荷をかけないと能力や技術は伸びない。
このストレスを楽しめる人はどんどん伸びてく。
これは良い悪いじゃ無く、自分が何を望むか。

「誰が言うか」に踊らされるな。

自分で選ぼう。

他人と比べる必要なんかない。

大量の情報をアドバンテージに変えたければ、まずは自分の軸が要る。
自分自身のコンセプトってやつだ。

自分の信じる軸があるから、大量の情報が活きる。
取捨選択ができる。
人と比べなくてすむ。

何者でもない自分をツギハギで大きく見せるために、口当たりの良い情報を集めちゃいけない。
本当に大切な情報は、自分にしかわからない。

ブレるな。

どれだけ他人がすごくても、君は、いつまでも君のままだ。

だから良いんだ。

 

ABOUT ME
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Andy
we.編集長/Design Offiice io COO./Creative Director|東京⇆京都の2拠点生活。| 企業の経営課題を解決するデザイン・コンサルやクリエイティブ・ディレクションやってます。|ミニマル思考と独特の着眼点で「?」を「!」にする発想・提案が得意。|日本のビジネスにクリエイティブの革命を起こしたい。