先日のツイート。
「家にいよう」と言えば「経済が死ぬ」
「経済を回そう」と言えば「感染拡大を助長するな」
「マスクをしよう」と言うと「売ってない」
「マスク配る」には「要らない金くれ」
「経済補償」には「そんな財政ない」個々の正義が入り乱れる世界。
だから息苦しいよね。#COVID19 #想像力で世界を救え— Andy(クリエイティブ・ディレクター) (@we_creat) April 5, 2020
今、世界には様々な正義が溢れてる
今、世界には様々な正義が溢れてる。だからいろんな人がいろんな角度からいろんなことを言う。
それは全然問題ない。
だって個々の自由だから。
自分がそう考え、そう信じ、そう発信したいと思ったのなら、それでいい。
むしろ、無思考のまま現状を受け入れてしまう方が危険だと思う。
一方で、今回のコロナ禍で見えてきたのは、自分と考えの違う他人を批判しないと気が済まない人間の本質でもある。
いろんな角度から、いろんな正義が発生してるから、多様な意見、考え方が出てくるのは当たり前。
だからこそ、意見が違う誰かの発言に対しては、なぜその人がその発言をしたのか、視野や視座、視点を変えて考えてみる必要があると思ってる。
それをいきなりケンカ腰にバカ呼ばわりでコメントしたり、批判するために引用RTするのはとても乱暴なことだと思ってる。
それこそ「気に食わない」からって道端でいきなり殴りかかってくるようなもんだと思うんだよね。
10代の不良少年じゃないんだから。
もっと知的に、論理的に意見交換をし、それぞれの価値観を認め合うことができたら、このタイムラインの息苦しさもなくなるんじゃないかと思う。
もちろん、140文字で議論するのは無理がある。
ボクもツイッターでは議論に乗る気は一切ない。
だからどんなコメントが来ても基本は放置するようにしてる。
(丁寧な質問などは別)
でも、ストレスはたまるよね。
願わくば、みんながそれぞれの意見を尊重し合い、それでいて建設的で有意義な公開意見交換が出来るとすれば、それは素晴らしいことだと思ってる。
実際、そうした適切な会話の出来てるリプ欄も見かけることがある。
こんな時だからこそ、やりとりや発信にも個性、いや、人間性が出るんだよね。
リアルタイムな事態の変化に困惑する
ボク自身もこの急激な現状の変化について行けず、何度も思考を整理し直してる。
いや、今もまだその考えがまとめられていると思えないのが正直なところ。
最初はまだ感染者数も限られていたし、ある程度行政がその人数と行動履歴を把握出来てた。
だから、感染拡大については気にはしていたけど、そこまで深刻に考えてなかったのは事実だ。
むしろ、過度の自粛によって経済が停滞することの方をボクは恐れた。
だからハッシュタグでの「経済を止めるな」にも賛同したし、積極的にそれを拡散してきたんだ。
でも、感染経路不明の患者数が50人を超えたあたりから、ボクの中では優先順位が変わった。
この先の感染爆発はもう避けられない。
そうなると、次に必要なのは医療崩壊をなんとしても止めること。
1人でも多くの感染者を出さないこと。
より多くの命を守ること。
これが第一義になった。
その結果として、経済はどんどん停滞していく。
馴染みの店が客足が遠のいたと嘆き、撮影系の仕事が次々とキャンセルになった。
フリーランスのクリエイターにとっては本当に苦しい状況だろな、と思っていた矢先に、友人が仕事が完全になくなったと連絡をしてきた。
友人のひとりがついに4月から仕事なくなったらしい。
一応会社からの保証は少しだけ出るみたいだし、その辺は企業さんもすごく努力してくださってるみたい。
それには感謝してた。
とは言え、いきなり収入が無くなる現状が怖いのは当然。マスク二枚ではどうにもならない現実がここにあるんだよ。
— Andy(クリエイティブ・ディレクター) (@we_creat) April 3, 2020
なんとかしてあげたい思いは当然あったけど、すぐにお願い出来る仕事があるわけでもない。
普段仕事をお願いしている立場とは言え、ボクはあくまでディレクターでしかなく、発注クライアント側の立場ではないからだ。
自分で仕事を生み出せない環境がひたすら悔しく、またきつかった。
これは、復興に向かうしかなかった3.11のときとはまた違った感覚だ。
底と終わりが見えない経済衰退の恐怖は、今もボクを蝕んでいる。
今こそ、クリエイティブの力を
新型コロナの事態が悪化するに連れて、どんどん新型コロナの話題しか発信できなくなっていく自分にもストレスを感じていた。
とにかく感染を拡大させたくない。
でも、経済も止めたくない。
相反する二つの正義を可能な限り均等に遂行できないかと考えてきた。
本来のクリエイティブな発信(ディレクション論やデザイン経営の話)は、控えているのではなく、「できなくなってる」と言う表現が正しいと思う。
それくらいに新型コロナの周辺に思考リソースが全部持ってかれてるから、当然と言えば当然なのだけど。
もちろん、クリエイティブな仕事はしてる。
仕事の最中はしっかりクリエイティブなことを考えている。(多分)
でも、一度オフモードに入り、ツイッターを開くと、考えるのはこの事態のことばかり。
だからこそ、ツイッターを通じていろんな呼びかけをしている。
少しでも届けたくて。
前に引用したマンガの一コマは、心からの同意を込めた、ボクの中の残り少ないクリエイティビティのカケラだ。
「微力だけと、無力じゃない。」
by 朝倉光一
©︎左ききのエレンこの言葉、いま、ホント刺さる。
今、ボクらに出来ることなんてたかが知れてる。
でも、出来ることもある。微力でいい。
まだ、答えは見つからないけど、自分の出来ることをやっていきたい。#COVID19 #想像力で世界を救え pic.twitter.com/nIU2x7ZiTI— Andy(クリエイティブ・ディレクター) (@we_creat) April 4, 2020
ボクらは微力だ。
でも、決して無力じゃない。
社会課題が多い時ほど、クリエイティブの力は必要だと思ってる。
伝えるべきことを適切に、一瞬でもわかりやすく。
それが求められる状況だから尚更だ。
そんな理由もあって、最初は家にいる呼びかけのキャッチコピー募集に参加したり、なるべく冗談交じりにトピックを取り上げて発信するようにしてきた。
お父さん、お母さん。
二人の反対を押し切り、
ボクが長年守り抜いてきたこの家が、
今、世界で一番安全な場所になりました。#外出禁止がポジティブになるコピー pic.twitter.com/RFVZxgSCU5— Andy(クリエイティブ・ディレクター) (@we_creat) March 28, 2020
神様がくれた、
ちょっと意地悪な春休み。 pic.twitter.com/G3dLHKxjL3— Andy(クリエイティブ・ディレクター) (@we_creat) March 28, 2020
その他のコピーはこちらから。
でも、いよいよその限界を感じている。
もう、冗談で何かを拡散できるような状況ではなくなったのだ。
今、日本は、特に東京は医療崩壊の瀬戸際にいる。
これから先も、個人の考えを発信することも、日常を発信することも、価値観を発信することも、すべては誰かのためになる。
その一方で、そうは思わない人もたくさんいる。
大事なのは、多種多様な意見を認め、なぜそれを発言したのか考えること。
他人の思考を想像すること。
自分なりの答えを創造すること。
これは一つのクリエイティビティだと思う。
クリエイターでなくても、誰もが持っている素敵な能力。
こんな事態だからこそ、みんなのクリエイティビティで、世界をもっと良いものに出来たらなと痛切に思う。
最後に
ここまでいろいろと自分の思考を書き連ねてきたけど、正直まだ自分なりの正解は導きだせていない。
みんなが何をするべきかわからない時代だからこそ、本来ならディレクターとしてどんどん進むべき道を指し示すべきなのに。
答えのない問題でも、進むべき道を指し示すのがディレクターだとするボクのディレクションの定義は、今目の前で音を立てて崩れ落ちようとしてる。
悔しい。
微力どころか、やはり無力だ。とも思う。
でも、だからこそ、やれるだけのことをやろうと思う。
ひとまず、新型コロナについての発信をするのは今日でいったんやめようと思う。
自分にもストレスだし、違う意見の人が見てもそのコメントはストレスになるだろうから。
(普通のツイートはすると思うけど、数は減りそう)
もう一段上のアプローチを思い付いたら、その時はコメントしたい。
誰もが自分の正義を信じる時代で、今、クリエイターに問われる価値ってなんだろう?
この疑問は、しばらくは解決できそうにない。
でも、一つだけわかってることがある。
クリエイティブは、いつだって負けない。